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チリツモ【中世ヨーロッパ情報館】

"chiritsumo” 管理人チリが、中世ヨーロッパにまつわる情報を紹介していきます。

後期の城-城の時代の終わり

中世の軍事史に大きな影響を及ぼした城も、とうとう終焉の時を迎えます。城の衰退を決定付けたものとはいったいなんだったのでしょうか。




15世紀以降、城は徐々にその軍事的役割を小さくしていきました。大砲を始めとした大型火器の登場は、城の衰退と関連付けられることが多いですが、城の時代が終わりをつげたのは火器の出現だけが理由ではありませんでした。もちろん、火器は投石器などに比べて攻撃力は高かったのですが、連射の難しさや高いコストなどの問題も抱えていたため、登場後も依然として投石器など従来の攻城兵器は併用されていたのです。また、攻撃に使えるということは、防衛にも使えるということであり、実際に砲門が設置されている城も存在しました。城から砲撃を行えば安定した足場で高度を利用し、射程を長くすることも可能であったのです。

城の衰退を決定付けた最大の理由は、中世末期に見られる中央集権の動きでした。王は強大な権力の下、発展していた都市に、その政治基盤を置くようになりました。裕福な商人たちから徴集した多額の税を使えば、銃器や大砲を装備した大規模な傭兵団が組織できたのできたのです。雇われ騎士を使うより、歩兵の傭兵を使う方が安上がりで力も上でした。城に関しても同じことが言えたのです。大掛かりな築城を続けるより、安上がりな傭兵に頼った方が攻撃・防衛の両面で有利でした。

また、城の時代の終焉は次のことも要因となりました。中世以降に破壊された城は徹底的に破壊されているものが少なくありません。これは城を攻撃した王権側が、再度敵に使用されることを恐れてのことでした。国家の反乱分子や大貴族が保持する城は、中央集権の王権を揺るがしかねない存在だったのです。イギリスでは包囲戦を終えた城を破壊する動きが議会で始まり、フランスでも塔の上部を取り壊すなどの城の無力化が進められました。

また、城は要塞としてだけでなく、住居としても時代にそぐわなくなっていました。貴族は自分たちの住居がより快適で優雅であることをの望んだのです。そして貴族の館は、ごっつい石の砦から、雅なものへと変わっていきました。破壊はされなかったにしろ時代にそぐわなくなった各地の城は、以後特別な役割を持たされることになりました。これらの城は主に牢獄として、特に政治犯の牢として使われるようになっていきました。こうして、領主の館としての城の時代は終わりを迎えます。そのような中世の城に取って代わった要塞は、ずんぐりした低い防壁を持つものでした。これは大砲の威力を半減させる新しい要塞建築として発達していくことになります。


城の発生から衰退までの歴史を、駆け足でですが紹介していきました。ぼんやりとでも、感覚が掴めていただけたら幸いです。次回からは、「中期」から「最盛期」までの城の構造について、各施設ごとに紹介していきます。

2007.1.19 加筆修正

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