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チリツモ【中世ヨーロッパ情報館】

"chiritsumo” 管理人チリが、中世ヨーロッパにまつわる情報を紹介していきます。

日出から日没まで-中世人の時間


▲スイス、ベルンの時計台(16世紀に時計設置)

現代に生きる私たちにとって時間は正確でなければならず、時間が私たちの生活ペースを決定しています。時計の針に追い立てられながら毎日を生きている、という言い方もできるでしょう。中世ヨーロッパの人々はそんな私たちとは違い、時間というものをもっと大雑把に捉えていました。

その一番の理由は、時計が非常に希少な存在だったということです。現在の私たちは、部屋にひとつの時計、外出すれば腕時計、勤務先や学校にも必ず時計がある暮らしをしています。しかし、中世ヨーロッパの人々は、自宅にはただひとつの時計ももっていなかったのです。太陽の動きと、教会や修道院の規則的な生活に合わせて鳴らされた鐘の音、これが大多数の中世人の時計だったのです。


大まかに今の時間と中世の時間を照らし合わせてみましょう。

朝課        A.M 2
讃課        A.M 3
一時課    A.M 6
三時課    A.M 9
六時課    P.M 0
九時課    P.M 3
晩課        P.M 6
終課        P.M 9

修道士たちは夜中、市民や農民など一般の人々は日出とともに起床し、日が沈むとさっさと寝床に入ったようです。なぜなら、夜間の活動に必要な照明が充分手に入らなかったためです。蝋燭は農民にとっては高級品でしたし、そもそも都市のギルドも夜間労働は禁じていたのです。中世の人々は、まさに太陽と同じようなサイクルを生きていたのです。

さて、上記の時間表ですが、中世ヨーロッパ世界は日出から日没までの昼と、日没から日出まで夜をそれぞれ12等分した単位時間としていました。この単位時間は、季節や経度の違いによってかなりの変化の幅をもっていました。このような不定時法の生活から、現在の形に近い定時法への変化は機会時計が普及した中世末期、15世紀以降のことでした。

13世紀頃に誕生し、14世紀以降になヨーロッパ各地の都市に設置されるようになった機械式時計は市民の生活を大きく変化させると同時に、都市の誇りともなりました。これらの時計の多くは都市の中心であった市庁舎に取り付けられましたが、時計のような高級品を備えることは都市にとって非常に名誉なことでした。時計の周囲は彫刻などで飾り立てられ、その都市に因んだ物語が、当時最高の精密機械だった「からくり時計」によって演じられたのです。
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