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チリツモ【中世ヨーロッパ情報館】

"chiritsumo” 管理人チリが、中世ヨーロッパにまつわる情報を紹介していきます。

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封建制

今回はフューダリズム。すなわち封建制についてです。貴族と貴族の間には、どのような関係が成立したのかを紹介していきます。




封建制、という言葉は中世当時には使用されていませんでした。また、封建制とは多義的な言葉ですが、ここでは中世に貴族間の私的契約であったレーエン制について書きます。レーエン制は、ふたりの「戦う者」間で交わされた相互契約の制度です。これは、一方が土地を与える封主となり、もう一方が、封主から土地を受ける封臣となり、封主は封臣への保護義務を負い、封臣は封主に対する助言や資金の援助などの諸義務を果たす、というものです。レーエン制はただの主従関係ではなく、相互契約であるため、封主でも契約を破れば封臣からの援助は受けられませんでした。

封臣の義務の中でも一番大きかったのは軍隊の提供義務でした。これは、有事の際、封臣が一族郎党を率いて、封主の下で共に戦うというというものでした。軍役は基本的に40日間が普通で、これには様々な制限が付きまといました。出征の連続期間や、軍の移動範囲が州境まで、どこの河川まで、封臣の領地内のみ、などが細々と決められていたのです。領地を受け取った貴族は、土地を直轄地と農民の耕作地とに分けて支配し、領民からの税の徴収などを行ないました。

封建制は、その義務の形態から、臣下の臣下を生み出すことになりました。封臣は、自分に仕える郎党が自前の軍を集めるられるように、自分の領地の一部を彼らに分け与えたのです。しかし、基本的にレーエン制は私的契約であるため、封臣の封臣(封主にとっての家臣の家臣、つまり陪臣)は封主にとっての家臣ではありませんでした。しかし、王権の強かったイングランドなどでは、国王に対し下位の封臣も忠誠を誓わせられることもありました。

▼「土地保有者の権力ピラミッド」 画像をクリックすると大きく表示されます。

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