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チリツモ【中世ヨーロッパ情報館】

"chiritsumo” 管理人チリが、中世ヨーロッパにまつわる情報を紹介していきます。

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ローマの伝統-キウィタスなど

中世都市と称されるものは中世の時代に入って、突然生まれ出たわけではありません。ローマ時代や、ケルト時代にまで起源を遡れる集落が、中世都市の大きな部分を占めています。今回は、そのように中世以前の集落に端を発する中世都市について紹介していきます。


【キウィタス】

ローマによる支配によって、地中海周辺世界は数多くの属州に分けられて統治されました。その統治の末端にあったのがキウィタスです。キウィタスは周辺の領域を含めた、帝国行政の最小単位でした。ガリア(現フランス周辺)にはガリア人の時代からオッピドゥムと呼ばれる壁で囲まれた集落が存在しており、帝国の支配に属してからもキウィタスとして周辺地域における重要性を保っていました。

文化も生活も異なる地域を治めなければいけなかったため、帝国はキウィタスに対しかなりの面で自治を認めており、市政を牛耳っていたのは市外に所領を持つ大土地所有者を中心とした市政参事会でした。このような都市管区の制度がライン川以西、ドナウ川以南のヨーロッパなどの地域では帝国の滅亡後も存続していたのです。キウィタスの統治を変わって担うようになったのは教会組織でした。

古代ローマ時代、キリスト教は信者の増加や国教化と共に公的に力を増して、強力な勢力となっていました。教会は崩壊しつつあったローマの国家業務を引き継ぐことが多くなっていきます。その中に、都市の行政官としての業務もあったのです。ローマの主要都市には司教座が置かれ、司教は住民に対しある程度の権力を持ち始めたのです。キウィタスは司教区・司教座都市となっていきます。

こうして形成された司教座都市には、フランク王国時代、都市伯が置かれるようになりました。司教と伯との関係は都市によって様々で、司教がある程度の重要性を残したものから、ほとんどの実権を伯が取得した都市もありました。彼ら都市の指導者層は、都市の自治組織が発達するまで、都市内で大きな権力を持ち続けていたのです。

【カストルム、ヴィークス】

ライン川やドナウ川に沿った地域にはローマ人が造ったリーメス(辺境防壁)があります。辺境防壁の内側に建設されたカストルム(要塞都市)や軍団居留地に付随するヴィークス(小集落)では、ローマに雇われたゲルマン人傭兵や現地人(ガリア人など)が住み着いて、ゲルマニアとの交流に一役買っていました。これらの人の集中する都市的空間は、ゲルマン民族の侵入時に多くが破壊されましたが、フランク王国の諸王の時代には、再び流通の中心地となりました。軍団居留地に属さない独立したヴィークスもあり、これらは街道に沿って建設され、商人や手工業者たちが住み着いていました。

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