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チリツモ【中世ヨーロッパ情報館】

"chiritsumo” 管理人チリが、中世ヨーロッパにまつわる情報を紹介していきます。

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農奴身分の成立

領主の下には、不安定な時代を有力者の庇護下で暮らそうと考える農民が集まってきます。これらの農民は有力者に土地を無償譲渡し、自身の隷属の対価として保護を求めました。農奴身分すなわちコロヌスに転落した農民に対し、領主は貢租や賦役などの義務を付加して土地を貸し出しました。自由農民は自ら有力者の小作人になったのです。

領主の支配下に入らずに自営農民として生活することも可能で、そうすれば隷属民になることはありませんでした。しかし、自力救済が基本の世界で戦争や不作の際にも、一人で生きていかなければなりません。領主の庇護下に入った農民は有力者の庇護下に入ることで、まさかの事態に備えようとしたのです。領主の支配下に入ったものは、前記のように自営農民から発したものと、元は領主個人の耕地で働いていた奴隷が小作人化したものとがあります。

地主はなぜ奴隷に土地を貸し与え、農奴としたのでしょうか。そのまま直営地で働かせていれば、取り分も多いはずです。しかし、これは奴隷使用上の制約を無視した考え方です。ローマ帝国でも盛んに行われたこのような奴隷の小作人化は、最終的には利益をもたらしたようです。つまり、大勢の奴隷を扱うには、彼らを束ねる組織が必要となり、組織を運営するにはそれだけ金がかかります。また、奴隷は一箇所に集めると反乱の危険を生じます。これでは元も子もありません。そして何より、主人のためにタダ働きする奴隷より、働けばそれだけ自分の取り分も増える農奴の方がはるかに労働意欲が高かったのです。

こうして、多くの自由農民と奴隷が、有力者の庇護下に入って小作人化したことで、中世に特徴的な農奴身分が形成されていくのです。しかし、この農奴化の割合は地域によってかなり異なっていたようです。また、この後、紀元1000年頃から城主層の台頭が始まるにつれて、農奴の権利なども変化していくことになります。

08.1.11 加筆修正
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