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チリツモ【中世ヨーロッパ情報館】

"chiritsumo” 管理人チリが、中世ヨーロッパにまつわる情報を紹介していきます。

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ロベール・ル・フォール

870年、メルセン条約によりフランク王国は分割され、中世国家の境界線の大枠が定められました。禿頭王シャルルが王位を継承した西フランク王国では、カロリング朝の血筋は100年程続いた後に断絶します。その後、フランスの王にパリ伯ユーグ・カペーが選ばれ、彼の時代から300年以上の長きにわたって続くカペー朝が始まります。

今回はいったんカペー朝の幕開けから遡り、ユーグ・カペーの属すロベール家のそれまでの歴史をみていきます。ロベール家はロベール・ル・フォ-ルの時代に歴史の表舞台へと出てきます。彼はロワール沿岸地方の諸地域、アンジューやトゥーレーヌなどの伯爵を兼任し、さらにサン・マルタン修道院領もその影響下に置いていました。

そして、彼の息子ウードの時代に、ロベール家は初めて一族から王を出します。885年当時、王都パリはヨーロッパ侵攻を盛んに行っていたヴァイキングによる包囲の憂き目にあっていました。その時に、パリの指導者として名を上げたのがウードでした。当時の国王カール肥満王(彼は同時に一時的に統一された全フランクの王だった――包囲軍を追い払うために金でけりをつけた――)が死ぬと、ウードは新国王として戴冠されたのです。

▼ロベール・ル・フォールの主な支配地域

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あんまりにも放置しすぎたのでカテゴリ移動 07.12.27

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