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チリツモ【中世ヨーロッパ情報館】

"chiritsumo” 管理人チリが、中世ヨーロッパにまつわる情報を紹介していきます。

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傭兵騎士-金のために戦う人

1000年の長きに渡って展開される中世。この時代を代表する騎士は、その姿を変えながら中世の様々な様相を私たちに見せてくれます。今回は騎士の様々な形を追って行きたいと思います。

騎士は「戦う人」として中世を通じエリート意識を持ち続けましたが、この「戦い」は何も封建的軍役だけではありませんでした。騎士は、それが自らの家臣を抱える貴族であれ、主君の家で給養を受ける勤め人であれ、封建制のピラミッドに組み込まれ、戦時には封主によって召集されましたが、封建制がただの契約である以上、彼らは好き好んで主君とともに戦場に立ったわけではありませんでした。40日の軍役を過ぎても騎士を働かせようとすれば、何らかの対価が必要になったのです。さらに、封建的軍役は金銭の支払いに代わっていく傾向にありました。

騎士たちはというと、彼らは金儲けのためにその戦闘能力を大いに売り出し始めます。軍役免除金によって懐に余裕の出来た主君たちは、扱いにくい封建騎士軍よりも、金さえ払えば動く傭兵騎士に期待を寄せます。こうして、「金のために戦う人」傭兵騎士が生まれます。中世盛期の貨幣流通の増大や諸都市の繁栄による、ヨーロッパ世界の経済成長や、中世後期における農村地帯の荒廃=地主層である騎士階級の経済的没落はこの流れを加速させていきます。

僅かな所領しか持たない下級騎士だけでなく、家臣を引き連れた小君主たちも傭兵騎士となって戦場を駆け巡りました。イタリアの諸都市、あるいは領主や皇帝との間で起こった戦争にはイタリアの小君主たちが傭兵隊長として活躍しています。貴族が傭兵隊長を勤めるという流れは、中世末期から近世初期にかけて登場するランツクネヒトたちにも継承され、連隊長や中隊長の位は貴族が独占していました。
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