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チリツモ【中世ヨーロッパ情報館】

"chiritsumo” 管理人チリが、中世ヨーロッパにまつわる情報を紹介していきます。

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行政機構の変容

【中央】

ヘンリー3世(1216 - 1272)の時代になると、それまであった行政の二重構造に変化が現れます。二重構造とは、大陸と島とを行き来する王に従って移動する宮内府と、王の不在時にも行政をこなせるように置かれた在地の財務府を中心とした国家行政機構のことです。ヘンリー3世の先代、ジョン(1199 - 1216)は大陸領の大部分を失い、それ以来国王はイングランドの統治に専念し始めました。もはや王の代理人は必要とされなくなりました。ヘンリー3世は国家行政の頭、最高司法官を廃止します。

エドワード1世(1272 - 1307)の時代にも行政機構の変容は続きます。国家行政の要、財務府はまったく消滅したわけではありませんが、宮内府宮廷財務室から独立した納戸部が財務を中心的に担うようになってからは、軍隊や役人の会計審査と清算事務だけを行う部署となります。

この納戸部「ウォードロウブ」ですが、宮内府の役職が王の周辺の世話役から発展していったように、これは元は王の衣服の収納部でしたが、やがて重要な書類や現金をも扱うようになり、重要度を増していきました。財務や文書を司る部署としてはすでに述べた財務府と宮内府の尚書部がありましたが、納戸部との管轄の線引きは曖昧だったようです。しかし、全体として言えるのは、それまで在地組織として大きな力を持っていた国家行政機構は縮小し、王国支配の中心は宮内府に移ったということでしょう。このように形成されていった行政機構は、しだいに影響力を強めてきた諸侯を中心とした議会の下に置かれるようになっていくのです。
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