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チリツモ【中世ヨーロッパ情報館】

"chiritsumo” 管理人チリが、中世ヨーロッパにまつわる情報を紹介していきます。

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私有修道院

修道院というと、貴族権力から独立した、教会組織に属したものであると思いがちです。しかし、ほとんどの修道院が教皇の指導下に置かれるようになるのは、意外にも遅く11世紀になってからのことです。西ヨーロッパに初期の修道院が建てられてから実に500年の間、教皇権の及ばない修道院があったのです。これらの修道院は、王や貴族の支配の下で建立されました。今回は、特に9世紀頃に活発だったとされるの貴族の私有修道院、自家修道院とも呼ばれるものについて紹介します。

自家修道院は、貴族が自らの領地内に創設した修道院で、これらの修道院では創設者やその祖先のために祈祷が行われ、創設者一家は私有修道院に埋葬されました。しかしながら、もちろん貴族たちは、死後の安寧だけのために、私費を投じて修道院を建てたわけではありません。

まず、修道院は創設者の子息を受け入れる養育の場となりました。これにより、兄弟間の遺産分割による領地の分散がいくらか食い止められました。また、女子修道院を創設し、結婚の予定のない娘をそこの院長として入れるということも行われました。驚くべきことに、たった12歳の少女が女子修道院の院長となることさえあったようです。

家族の一員が住む場所となるほかに、修道院は領地支配のためにも重要な役割を果たしていました。まず、修道院には創設者の宿泊を受け入れる義務がありました。自家修道院は、領地巡回の必要がある貴族の外泊施設の役割も持っていたのです。また、修道院は往々にして領主が投じた費用よりも多額の寄付を集め、創設者は自由にこの寄付金を利用することができました。また、文字の読めない領主も多かった時代に、読み書きのできる修道士を文書管理人や使者として使役できるのも、私有修道院から得られる利点でした。貴族はこのように、聖と俗、両面の利益のために、修道院を創設したのです。

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