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チリツモ【中世ヨーロッパ情報館】

"chiritsumo” 管理人チリが、中世ヨーロッパにまつわる情報を紹介していきます。

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聖堂参事会とは

中世都市の大聖堂が、司教によって管理・運営されていたのは知られています。しかし、全ての大聖堂に司教が座したわけでもなければ、ひとりの司教がひとつの大聖堂の全てを支配していたわけでもありません。となれば、司教を補佐する、あるいは司教なしで聖堂を管理する役職が必要となります。この役目を果たしたのが、聖堂参事会でした。聖堂参事会は、聖堂に属する聖職者の集団です。この聖堂参事会は大きく、司教座聖堂付きと参事会聖堂付きにわかれます。文字通り前者は、司教座のある聖堂で働く参事会であり、後者は司教のいない聖堂で職務をこなしました。

参事会員は、司教座付きの場合は司教の相談役、補佐役を勤め、日々の祈祷・典礼などの聖務をも執り行いました。また、それぞれが司祭、助祭、副助祭などの階位を持っており、その役職にあった職務を遂行しました。例えば、司祭の資格をもっている者には信徒の直接的な指導が要求されたのです。

一般的な小教区の司祭と違い、彼らはひとつの組織として活動していました。聖職者の集団というと、厳格な戒律の下で修行する修道士が思い浮かびますが、参事会は修道士とも違う存在です。まずもって、禁欲的な戒律が日常生活に適用されているわけではありませんでしたし、修道院に閉じこもって祈りを捧げる修道士と違って、日常的な聖務では一般の信徒と交わることも多いわけです。さらに、修道士は寝食を共にし、私有財産を持ちませんでしたが、参事会員は一定の囲い地の中に住むことが多かったものの、個人の家に住んでいましたし、彼らの多くは大土地所有者でした。しかし、まったく規制がなかったわけではなく、多くの参事会は「共住生活規則」とも呼ばれる「聖アウグスティヌス会則」を採用していたようです。

また、参事会にはほとんど修道院のような生活を送るものもあり、そのような参事会は通常の俗間参事会と区別され、律修参事会と呼ばれます。プレモントレ会やサン・ヴィクトール参事会などがそれに当たりますが、これらは参事会を名乗っているものの本質的には修道院と変わりがなかったようです。
 

F/H
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