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チリツモ【中世ヨーロッパ情報館】

"chiritsumo” 管理人チリが、中世ヨーロッパにまつわる情報を紹介していきます。

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テンプル騎士団-コマンドリーの経営

テンプル騎士団は、聖地エルサレムへの巡礼者を保護することを目的に発足しましたが、民衆や貴族からの寄付を集めて規模を拡大するにつれて、パレスチナ以外にも多数の領地を持つようになっていきます。このようにして得られた騎士団の領地の最小単位はコマンドリーと呼ばれます。

コマンドリーはより大きなくくりの管区に分けられていました。東方ではエルサレム、アンティオキア、トリポリの三管区があり、ヨーロッパではアラゴン、カスティリャ、(北)フランス、ポワトゥー、プロヴァンス、イギリス、ハンガリーなどの諸管区がありました。ちなみに、フランスは当時の大国で人口も農業生産も多く、また南北で言葉や文化が違ったために、一国で複数の管区があります。聖ヨハネ騎士団の管区も同様にフランスをいくつかの管区に分けています。

13世紀末、騎士団のコマンドリーの数は9000にも及びました。そして、そのうちの3分の1がフランスに存在していました。これらのコマンドリーはヨーロッパでは城館ないし修道院としての意味を持つメゾンという建物を中心とした農園というのが基本的な形で、コマンドール(支部長)によって統率されていました。コマンドリーは、地域の司教権に属さない教会堂や墓地を備えている騎士たちの修道生活の場であり、一方で多くの使用人・農民と耕地を抱えた、農業生産の場でもありました。ヨーロッパの大部分ではこのような城館と農場で構成されたコマンドリーが一般的でしたが、イスラム教徒の侵入を受けていた聖地やイベリア半島では、ひとつの城砦でコマンドリーが構成されているような軍事色の強いものが大半でした。

フランス、トロワ司教管区内にあるパイヤン(騎士団創設者、ユーグ・ド・パイヤンの出身地)というコマンドリーには、当時の詳細なデータが残っています。それによると、パイヤンには召使、牛飼、羊飼、馬丁、運搬人夫、パン焼職人、倉庫番など50人を超える人々を雇っていました。また、これ以外にも木を切り出したり、荷車や馬具を修繕する人に手間賃を出していました。コマンドリーの支出としてはこれらの人件費のほかに、倉庫や門など各種建物の修繕費、明かりをとるためのロウソク代、穀物用袋を作るための布代があり、さらに騎士や使用人のための食費も含まれています。

コマンドリーの収入源は当時貨幣に置き換わられつつあった地代収入、余剰農産物や家畜の販売により得られました。パイヤンのコマンドリーは、747.5ボワソー(約9717リットル)の小麦を集め、そのうち8割弱の576ボワソー(約7488リットル)を販売しています。この小麦の販売によって得られた39リーヴル16スーの他にも、パイヤンにはチーズや家畜などの販売、地代収入によって全体で250リーヴルの収入がありました。同年の支出の合計は189リーヴルですので、このコマンドリーは61 リーヴルの黒字経営だったことがわかります。荘園経営で得られた貨幣や販売されなかった余剰産物は聖地へと運ばれ、騎士団が聖地で生活し、武器甲冑を調達し、城砦を建設するために使われたのです。

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