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チリツモ【中世ヨーロッパ情報館】

"chiritsumo” 管理人チリが、中世ヨーロッパにまつわる情報を紹介していきます。

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プレート・アンド・メイル-板金鎧の発達

盛期から後期における中世ヨーロッパにおける鎧の変遷を見ていくと、大きく三段階に分けられます。第一期はおおよそ11世紀頃から14世紀初めまでに鎧の中心であったチェイン・メイル(鎖鎧)の時代。第二期は、14世紀中ごろから15世紀中ごろまでのチェイン・メイルから後期のプレート・アーマーへの過渡期(プレート・アンド・メイル)。第三期が15世紀中期以降、騎士の主な装備がプレート・アーマー(板金鎧)となった時代です。しかしばがら、ここで示した時代枠はあくまでもおおまかなイメージを捉えやすくするためのものであって、実際はその騎士(ないし兵士)がどの社会身分に属し、いかほどの経済力を持っているか、またどの地域に住んでいるかによって状況は大きく異なっていました。

今回は、第二期から第三期にかけて、プレート・アーマーは戦場の主役になっていく過程を見ていきたいと思います。最初期のプレート・アーマーは13世紀はじめに姿を現します。全身を防御していたチェイン・メイルに、補助的防具として独立した膝当てや脛当てを付け始めるましたが、これがプレート・アーマーへの移行の第一段階でした。これらの独立した防具は、しだいに拡張していき、最終的には四肢を全て包み込めるようになっていました。14世紀終わりまでに、板金で造られる防具はほとんど出揃い、これらの防具としては上半身では、頸当て、肩当て、上腕当て、肘当て、前腕のための腕甲、手甲があり、下半身では腿当て、膝当て、脛当て、足のための鉄靴がありました。

14世紀の前半になると、胴体を守るために革や布でできた胴着に金属板を縫いこむ「コート・オブ・プレート」が発明され、さらに1350年頃以降には胴体を守るために独立した金属板からできた胸当てが使われるようになっていきます。15世紀、この胸当ては騎馬する兵士のためにランス・レスト(槍掛)をもつようになります。これは右胸に付けられた突起物で、馬上で兵士が槍を構えるときの支えとして使われました。

鎧の変遷における第二期の騎士たちは、社会的地位や財力や、必要性にあわせて、上述の各々の防具を選んで使っていました。体全体を隈なく保護するためのチェイン・メイルは、個々の防具選択以前の大前提の防具として君臨していたのです。この時代の鎧は、チェイン・メイルとプレート・アーマーを重ね着していたために、プレート・アンド・メイルと呼ばれます。また、14世紀までのプレート・アーマーは磨かれていなかったため「黒い甲冑」が一般的でしたが、15世紀には磨きあげられた「白い甲冑」が普及します。これは、研磨し滑らかにすることで敵の攻撃を逸らす働きと、黒に比べ太陽光線を反射して熱の吸収を抑えるという働きがありました。

第三期、すなわち15世紀中期になると、騎士の標準装備は上述の防具をすべて揃えたものになります。装備の重量は20kg程度のものから、重い物では30kg弱のものまでありました。この時代になるとチェイン・メイルは鎧の主役の座を降りていますが、それでも関節部分など特に動きを要する部分を補強するために使われ続けました。また、この時代に騎士たちは強力な板金で前身が覆われたために、盾をほとんど使わなくなりました。完全なプレート・アーマーの普及と衰退に関しては、別の記事に譲ります。
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