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チリツモ【中世ヨーロッパ情報館】

"chiritsumo” 管理人チリが、中世ヨーロッパにまつわる情報を紹介していきます。

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「刑吏の社会史―中世ヨーロッパの庶民生活」 阿部謹也




「また、フーズムでも貧民のために多額の金を遺して死んだ善良な刑吏の棺をかつぐ者がいなかったために、市参事会では評判のよくない六人の獄丁や捕吏たちにかつがせた。しかるにこの六人が揃って足が悪いうえに身長がはなはだしく違い、しかも身体が弱った老人であったために、まことに《恥さらし》な光景になったという。…その観衆の前を歯を食いしばり、屈辱に耐えていた死者の妻子が歩いたのである。」(本文よりp19-21)

<目次>

はじめに

第一章  中世社会の光と影
1 「影」の世界の真実
2 賤視された刑吏
3 皮剥ぎの差別と特権
4 神聖な儀式から賤民の仕事へ

第二章  刑罰なき時代
1 供犠・呪術としての処刑
2 処刑の諸相
絞首 車裂き 斬首 水没 生き埋め 沼沢に沈める 投石 火刑 突き落し 四つ裂き 釘の樽 内蔵びらき 波間に流すこと

第三章  都市の成立
1 平和観念の変化
2 ブラウンシュヴァイクの刑吏
3 医師としての刑吏
4 ツンフトから排除された賤民
5 キリスト教による供犠の否定

第四章  中・近世都市の処刑と刑吏
1 糾問手続きと拷問の発展
2 刑吏の祝宴と処刑のオルギー
3 近世の刑吏

むすび
あとがき
参考文献


中世から近世にかけて、人々に忌み嫌われると同時に、人々によって必要とされ続けた職業があります。刑吏です。刑吏は裁判で処刑の判決を言い渡された被告を、斬首・絞首・火刑など様々な手段を以て処刑することを生業としていました。中世において、人々は戦う人、祈る人、働く人の三種に分けられているという考えがありましたが、刑吏やその他賤民とされた人々はこの三身分の枠外に置かれていました。この三身分の人々は「名誉ある」人々であり、賤民は「名誉をもたない」人々とされていたのです。この時代の「名誉」とはほぼ「権利」と同義に読むことができます。すなわち、彼ら賤民は社会の中で「自己の権利を守ることができな」かっただけでなく、「常にネガティブな生活を余儀なくされて」(p13)いたのです。

接触したり、会話を交わしたり、ともに食事をするだけで彼らと同じ賤民に落ちると考えられていたため、市民たちの刑吏に対する差別は非常に激しいものでした。どんなに善良な刑吏でも、死んだときに棺を運びに来てくれる者はなく、刑吏の妻の出産にかけつける女房仲間は一人もいませんでした。自力救済が原則の中世社会においては、ギルドやツンフトなどの同業者組合が、組合員同士の互助や協力体制をつくりだしていましたが、ツンフトイの結成が認められない刑吏は、助け合う仲間もなしに、市民たちの差別に耐えていかなければなりませんでした。

刑吏が差別される理由、それはローマ法の導入によってもたらされた古典時代の刑吏への差別意識の復活や、単純に人を殺すことに対して起こる人間の自然な嫌悪感が原因なのではありませんでした。むしろ12、13世紀における中世人の持つ処刑概念の変化が刑吏への蔑視をもたらしたのです。古代ゲルマンの時代にあって、処刑とは犯罪行為によって社会や共同体が受けた傷を、住民全員で修復するための儀式でした。それは古代の神々を沈めるための供犠であり、社会の傷を癒す呪術だったのです。そのため、処刑の執行人は聖職者であり、処刑自体は神聖な儀式だったのです。

この処刑概念を変えたのはキリスト教の普及と平和意識の変容、そして都市社会の発展でした。キリスト教によって供犠や呪術としての性格を否定された処刑に対して、人々は畏怖の念を抱くことはもはやなく、残った感情は怖れでした。さらに、単純な殺人などは支族間の復讐による解決を原則とし、国家や統治者による介入を認めなかった古代ゲルマン社会は、キリスト教の受容と共に私闘なども禁じた、世界の一元的な平和を目指すようになっていきます。そして人口の密集した都市という新たな生活環境は、氏族集団を解体し、個人による犯罪が被害者個人だけではなく多くの市民へも影響を与える環境を提供し、平和維持のために処刑には修復の意味ではなく予防のための威嚇の意味が強くなっていきました。さらに、拷問の導入や国家権力による公開処刑は、刑吏を公権の名のもとに残虐な行為をする自分たちとは異色の者であるという意識を人々に抱かせたのです。

本書はこのような平和・処刑概念の変遷や都市法の整備による刑吏の賤民化がどのようにしてなされたかについてや、中世の刑吏の日常生活、蔑視・差別の実態、皮剥ぎや街路掃除などの副業、刑吏たちの共同体などについて興味深い事実がぎっしり詰まっています。中世のマルジノーに関心のある方だけでなく、中世全般に興味がある方にお勧めの一冊です。

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