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チリツモ【中世ヨーロッパ情報館】

"chiritsumo” 管理人チリが、中世ヨーロッパにまつわる情報を紹介していきます。

「ニーベルンゲンの歌」




古い世の物語には数々のいみじきことが伝えられている。
ほまれ高い英雄や、容易ならぬ戦いの苦労が、
よろこび、饗宴、哀泣、悲嘆、また猛き勇士らのあらそいなど、
あまたのいみじき物語を、これからおん身たちに伝えよう。


相良守峯訳『ニーベルンゲンの歌』前編、第一歌章、一

ニーベルンゲンの歌は13世紀初頭ドイツで生まれた一大英雄叙事詩です。中高ドイツ語で書かれたこの物語は著者がはっきりしておらず、そもそもこれが一人の著者によったものなのか、それとも複数の著者によって作られたかすらはっきりしていませんが、記述の正確さなどから著者は南ドイツからオーストリアにかけての地域に住んでいたと考えられています。全39歌章の韻文で、1節4行の詩節で構成されており、節数は写本によって変動がありますが2379節というのが一般的です。

この物語のモデルとなったのは、北欧神話や6、7世紀発祥の英雄歌謡、さらに中世初期の歴史などでした。ニーベルンゲンの歌は、ゲルマン由来の伝承にキリスト教のエッセンスを加えて再構成したものであり、司教や聖堂などのキリスト教的な事物が登場する一方で、平和よりも武勇や名誉を重んじるゲルマン気風を残した作品でもあります。当時の物語の多くが、聖書にまつわるものや聖人譚で説教・布教の役割を持っていたのに対し、ニーベルンゲンの歌は英雄精神や武力賛美、悲劇的な最後などをが異彩を放っています。そのため、成立から800年以上を経たいまでもその文学作品としての価値を認められており18世紀のある歴史家に「ドイツのイリアス」とまで賞賛されています。

ニーベルンゲンの歌は慣習的に2部構成とされており、前編が英雄ジーフリト(現代ドイツ語読みはジークフリート)の誕生から、クリエムヒルトとの結婚を経て彼の殺害までを描いており、後編では夫を殺されたクリエムヒルトがの復讐劇が中心となります。物語の舞台は、アイスランドからハンガリーまでに及びますが、中心となるのはクリエムヒルトの母国ブルゴント(現ドイツ中西部)と、フン族の国(現ハンガリー)です。前編では、ニーデルラント(現オランダ)の王子ジーフリトが、クリエムヒルトと結婚するためにクリエムヒルトの兄であり国王のグンテルに協力して戦争に参加したり、王の花嫁獲得の手助けをする活躍が見られます。こうしてクリエムヒルトと結婚したジークフリトでしたが、クリエムヒルトと王の新妻プリュンヒルトとのいさかいをきっかけに、王の重臣ハゲネによって殺されてしまいます。

後編では、復讐を決意したクリエムヒルトがエッツェル(モデルはフン族の王アッティラ)と再婚し、ハンガリーのエッツェルの宮廷に故郷ブルゴントの親類を呼び寄せます。彼女はそこで王弟や家臣にブルゴント勢を皆殺しにするように命令しますが、ブルゴントの勇士の強さは尋常ではなく、熾烈な戦闘の中で多くのフン族兵士やエッツェルの家臣たちが命を失います。最終的はグンテルもハゲネもクリエムヒルトによって殺されますが、彼女自身もエッツェルの家臣の一人によって首を刎ねられ、かくして悲劇の物語は幕を閉じるのです。

古典としての雰囲気を出すために古い言葉を使っており、多少の読みにくさはありますが、展開が速く、登場人物たちの心理も台詞を通してわかりやすいので、叙事詩だと力んで読まなくても楽しめる物語でした。また、単純な勧善懲悪というわけでもなく、英雄ジーフリトを殺した一見悪者のハゲネにも考えや立場がありましたし、クリエムヒルトがただの悲劇のヒロインというのも間違いで、彼女の執念が物語の悲劇を招いたとも言えるのです。また、最後の戦いで王への忠義とブルゴンド人への友情との間で苦しむエッツェルの家臣リュエデゲールなどは、現代の目から見ても葛藤の様子がよく伝わってきて共感できました。文学から当時の歴史について想いを馳せることができて、しかも面白い物語なので、とてもおすすめです。
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