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チリツモ【中世ヨーロッパ情報館】

"chiritsumo” 管理人チリが、中世ヨーロッパにまつわる情報を紹介していきます。

間口は狭く、背は高く-都市の住宅

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▲都市住宅の基本形

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▲住宅部分の拡大と中庭採光の減少

中世都市が抱える問題のひとつに、市域が狭隘であることが上げられます。ローマ帝国末期は人口の減少や田園への流出などもあり、市域は縮小する傾向にありましたが、11世紀以降の経済活動の活発化や農業生産の増加により都市集落の発展が見られるようになると、都市に人口が集中するようになっていったのです。市壁の建造は莫大な費用と時間がかかるため、市壁拡大は住民にとって大きな負担でした。そのため、そう何度も増築して市域を拡大することはできません。中世都市の人々にとって限られた空間をいかに広く使うのかというのは大きな問題だったのです。

限られた都市空間をできるだけ有用に使うためには、街路の数や幅を制限する必要があります。この少ない道に面して多くの住宅を建てるために、間口が狭く、奥行きの深い長方形が都市住宅の基本形となります。この長方形は、古代からの伝統を持つ都市の場合にはローマ時代のインスラ(集合住宅)に影響を受けて形成されましたが、ライン川以東のローマの支配が及ばなかった地域にある都市では、街路に面した小さな住宅が人口増により奥に増築された結果として造られるようになりました。後者の場合、元々あった空間が建物によって埋められていくと、採光の面で問題が出てくるために、すぐに長方形になったわけではなく、その過程でL字型やコの字型、ロの字型の住宅を生み出しました。

ローマのインスラの伝統は狭い間口と深い奥行きだけではありません。インスラは中世の住宅とは異なり複数世帯が同じ屋根の下に住むものだったため、通常の出入口の他に二階へ通じる階段に直接繋がっている出入り口がありました。この一宅二口の伝統は、上階に別の家族が住まなくなった中世になっても継承され、一つで事足りる出入口が二つある様式を残しました。また、地階を店舗にしていたインスラの正面玄関には陳列棚が壁に接する形で設けられていましたが、これも中世に鉤型の開口部を残すことになります。

床面積を確保するために住宅は上にも伸びていきます。都市建築では2階建て以上は普通で、5階建てやそれ以上のものもありました。また、屋根を急傾斜にすることで屋根裏まで余さず利用しました。さらに、少しでも利用空間を増すために、2階以上の部分が下の階よりも道側に迫り出す構造も多く見られます。多くの場合、1階は作業所・店舗・倉庫・畜舎(都市でも自宅で家畜が飼われていた)などとして使われました。商人や職人の多く住む都市では1階は仕事の場とされたのです。続く2階は家主一家のための空間でしたが、個人の部屋というものはなく、もっぱら居間と寝室の二部屋構造でした。3階以上や屋根裏部屋は倉庫や使用人の部屋が配されました。

初期の都市住宅は木造が一般的でしたが、都市住民の財力が向上するに従って、石造・煉瓦造りのものへと変化していきます。こうして、柱、梁などの木造骨組をそのまま外部に露出せ、骨組みの間を石や煉瓦で埋めて壁を造るハーフティンバー造りが中世住宅の基本形として定着するようになります。完全に石造にする余裕がない場合は上階を支える地階のみを石造にしました。また、防火のために屋根も藁葺、木製のものからスレート(粘板岩の薄板)葺きのものへと変わっていきます。しかしながら、プライバシーの意識は相変わらず弱いままで、ベッドにカーテンを備えるなどの工夫はなされるものの、農村の住宅と基本的には変わらない居間・寝室の二部屋構造は維持されました。住宅に個室が普及するのは近世以降のことです。



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