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チリツモ【中世ヨーロッパ情報館】

"chiritsumo” 管理人チリが、中世ヨーロッパにまつわる情報を紹介していきます。

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パンの消費と麦粥

肉と並んで、中世人の食生活の中心となったのはパンでした。肉と同じく一日の消費量は500~1000gで、それ以上のこともあったそうです。例えばクリュニー修道院では貧者へのほどこしとして1日にパン500gとワインが与えられ、14世紀のジェノヴァの船乗りは毎日800gのビスケットを受け取ることができました。

貴族も農民も、食事の大部分はパンだったので栄養バランスはあまりよろしくなく、ビタミン不足が原因の様々な病気を引き起こしました。15世紀のオーヴェルニュの貴族たちは年間に500㎏ものパンを消費できましたが、このような食べるのにはいささか多い量のパンの一部はトランショワールと呼ばれる皿として使われ、食後、貧者に与えられました。

穀物は普通のパンとしてだけ消費されるわけではありませんでした。バルカン半島には中東から伝わったピタが広まっており、ウェールズやブルターニュでは燕麦や蕎麦でガレットが作られました。また、ヨーロッパの北部や北西部では挽き割りした穀物で作られる簡単な粥、ブイイが作られました。ブイイには野菜や乳製品を加えることもありました。
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中世人と菜食

豆類が中世人にとって重要な食物だったことは述べましたが、彼らはもちろん豆ばかり食べていたわけではありません。中世初期のフランスには50種以上の食用植物があったことが考古学者によって明らかになっています。その中には、穀物や豆類の他、キャベツやパースニップ(ニンジンのような肉質の白い根)、イチゴやサクランボなどの果実がありました。

中世人の食生活の中心としてはパンと肉があげられますが、野菜も彼らにとって重要な食物でした。プロヴァンスはトレのある教育機関では一年の3分の1にのぼる日々の食事にキャベツのポタージュが出され、他にホウレンソウやハーブや豆、かぶなど野菜を使ったスープが食卓に並びました。農民は家の近くに菜園を持ってそこから野菜を得ましたが、しばしば都市の中にも菜園が築かれました。中世の食生活への季節の影響は非常に大きな者で、王侯であろうが貴族であろうが旬のものでないと食べるのは困難でした。



佐藤賢一さん、塩野七生さんの本などいくらか持っているのですがなかなか西洋歴史小説ってないですよね。面白いの、ないかなぁ・・・。

豆のポタージュ

中世の野菜の中で重要な位置を占めたものに豆類があります。豆は栄養分を豊富に含む中世人の大事なエネルギー源のひとつだったので、かなり多く消費されました。代表的な豆として、そら豆、えんどう豆、ひら豆(レンズ豆)、ひよこ豆(エジプト豆)などが挙げられますが、中心だったのはそら豆とえんどう豆です。

豆はスープやピュレにされて食べるのが一般的でしたが、特には小麦と一緒にパンにされることもありました。多くは菜園よりもむしろ畑で栽培され――豆類が窒素を貯めこむことから――他の穀物の成長に貢献しました。

肉食日と精進日

中世の人々には食事に関して多くの宗教上の制約がありましたが、そのひとつに肉食禁止の日があります。これは一年のサイクルのものと一週間のサイクルのものがあります。一年のリズムとしては、四句節、降臨節、そして祝日の前日があります。

四句節は復活祭(春分の日の後の最初の満月の次の日曜日)の前の40日間(日曜を除く)のことで復活祭の6週間と4日前、灰色の水曜日から始まりました。降臨節(11月30日に最も近い日曜日からクリスマスイヴまでの約4週間)と共にこれらの期間中は、肉はおろか卵やチーズなどを食べるのも禁止されました。祝日の前日の場合は、卵やチーズを食べることが許されました。一週間のうち、主に金曜日が精進日、つまり肉食禁止の曜日とされ、地域によってこれに水曜日、土曜日が追加されました。

さて、これらの日々に中世の人々の食卓に並んだのは魚でした。貧しい人々は保存が利き、安価であったニシンを中心に食べ、裕福な人々は彼らより新鮮な魚を手に入れることができました。魚は河川、海、養魚池などで獲られ、燻製や干物、塩漬けにされ、あるいはす生のまま売られました。

中世人の肉食

中世の人々はかなり多くの肉を消費していました。中世後期の肉類の消費量は現在と比べても遜色ありません。つまり、一年間に50~100㎏の肉を食べていたのです。現在、欧州の肉類消費量は一年にだいたい80~100㎏ほどです。ちなみに、日本人の場合には50㎏を下回ります。中世が終わりを告げると肉の消費量は減少していき、もとの数字に戻るまでに数世紀を要しました。

豚・牛・羊が主な食用動物でしたが、その他にも鹿、猪、山羊、兎、鶏、鳩、鴨や白鳥、孔雀なども食卓に出されました。狩猟による食料獲得も重要なものでしたが、全体の中の割合は数パーセントに過ぎず、多くは家畜から肉類が供給されました。

中世初期には周囲に広がる森での豚の牧畜が中心でした。豚は都市でも飼われて残飯や生ごみの処理に一役買いましたが、同時に都市の不衛生を引き起こす要因ともなりました。時代が進むにつれ、豚の消費は減少していき代わりに牛が増加しました。これは動力源となり、乳をとれる牛の重要性が増したからだと考えられます。

        
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