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チリツモ【中世ヨーロッパ情報館】

"chiritsumo” 管理人チリが、中世ヨーロッパにまつわる情報を紹介していきます。

役人から諸侯まで-ミニステリアーレス

中世ヨーロッパの封建制が確立されていくのに時を同じくして、封建制の主役となった城主層や諸侯に仕える下層の人々の身分が形成されていきました。もとは騎士や領主の従士と呼ばれていた人々は、この頃から家士や家人と訳される身分を形成していきます。非騎士の戦士であった彼らは、フランスやイングランドではヴァッサル、ドイツではミニステリアーレスと呼ばれていました。今回はこのミニステリアーレスについて紹介します。 ドイツのミニステリアーレスの特徴は、その従属性です。王により封土を授かった自由民たる貴族たちは、封土の世襲化に成功し、王の意見を意に介さないような存在となってしまったので、王は不自由民を召し抱えることで彼に忠実な家臣をつくろうとしました。ミニステリアーレスの栄達は、使える君主の恣意に基づいていたので、彼らは王に対し、もはや半独立を果たした貴族等より、従属的な身分を形成していたのです。もっともこれは彼らの存在が欠かせないものとなるにつれ建前になっていきましたが、それでも理論上は彼らは領主に従属する非自由民だったのです。そして、この従属こそが彼らの社会的身分上昇に役立っていたのです。ミニステリアーレスは自由な市民や自営農民たちとは違った道を歩んで行きました。 10世紀頃から現れたミニステリアーレスたちの多くは、自分の所領を持っていませんでした。彼らは領主に使え、城代として、領主の土地管理人として彼らに使え、また封建的軍役の中では騎兵戦力の一部を担いました。また、都市領主に使えたミニステリアーレスは造幣人などとして領主の役人層を形成し、自らも商業活動に従事していました。さらに皇帝に直属することで権力を拡大した帝国ミニステリアーレスたちの中には、諸侯と並ぶほどの力を持ち合わせていた者もいたようです。 ミニステリアーレスの価値がしだいに高まっていく中で、主人から封土を受けるミニステリアーレスも出始めます。彼らは自分の所領に構えられた、防御を固めた屋敷や城で居住していました。もちろん封土を与えられなかったミニステリアーレスは領主の城でほかのミニステリアーレスとともに暮らしていました。 自分の城を持ったミニステリアーレスは従属する家士としての性格を薄めていったといってよく、他の封建領主にあるように、主君に対する反発もあったようです。彼らはしだいに契約を軸にした存在になっていきました。12世紀のケルン大司教の家士たちについての例を挙げておきます。彼らは大司教のために従軍するのに際し、土地の境界を越える場合には金品や布といった報酬を求めており、また大司教はアルプス越えの召集を出す場合には1年も前にそのことを通達する必要があったのです。
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