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チリツモ【中世ヨーロッパ情報館】

"chiritsumo” 管理人チリが、中世ヨーロッパにまつわる情報を紹介していきます。

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王の役人

16~17世紀の絶対王政、国王が中央集権化を進めていく中でなされていきました。絶対王政の二つの柱のうちのひとつ、官僚組織は中世にはすでにその萌芽を見ています。今回は、初期中世イングランドの統治組織について紹介します。

【中央】

初期の中央行政組織は、王の私的な仕え人から発展していきました。例えば王の寝室(チェンバラ)で仕えていた者は、しだいに王の支出、ひいては国家の支出をも司る宮廷財務長官「チェンバレン」となり、王室の宝蔵庫(トレジャリ)の管理人は、国庫の管理を担う宝蔵長官「トレジャラ」となっていったのです。を。このような王の家計と国家の行政の区切りが薄い組織は宮内府「ハウスホウルド」と呼ばれ、前述した二役の他に尚書部長官「チャンセラ」がいました。チャンセラは国璽を預かり、その文が王のものであることを照明しました。彼らはそれぞれ宮廷財務室「チェインバ」、宝蔵室「トレジャリ」、尚書部「チャンセリ」の役人を統括していました。

また、重要事項の決定機関としては臨時に賢人会議「ウィテナイェモート」が開かれました。この会議では外交・立法・徴税などに関し話し合いがなされました。参加者は諸侯、司教など高位聖職者、王の側近の役人など、つまり王国の支配階級にあった人々でした。

【地方】

現在のように交通・通信が発達していなかった当時は、磐石な地方統治が成されていることが王国統一のために不可欠でした。イングランドには中世を通して各地に州長官「シェリフ」が置かれ、自分の管轄する州「シャイア」における裁判・徴税・軍の召集などを行っていました。

州制度は、王国の中心であったウェセックスより始まり、全国的に普及したのは11世紀頃のことでした。州よりさらに細かい行政区分としては郡「ハンドレッド」があり、これは名前の通りなら100のハイドで構成される行政区でしたが、その規模はかなりアバウトだったようです。さらにその下部には十人組「タイジング」が整備され、治安維持と出廷の連帯責任を負いました。
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