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チリツモ【中世ヨーロッパ情報館】

"chiritsumo” 管理人チリが、中世ヨーロッパにまつわる情報を紹介していきます。

アントニウスとパコミオス-禁欲の潮流と実践

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▲「聖アントニウスの誘惑」 (ヒエロニムス・ボッス

修道院の活動は煩悩渦巻く俗世から抜け出し、肉欲、食欲その他の欲求を退けて、使徒的な生活を送ることで、神との一体感を得ることを目的としています。この禁欲思想はキリスト教の広まりを受けて大きな潮流となりましたが、キリスト教が伝来する以前にも禁欲を尊ぶ思想は地中海世界に存在していました。

古代ギリシアやローマにおいて、性行為は人間の体からプネウマ(生命活動の源泉)や熱を奪ってしまうと考えられていたので、過度の行為は肉体の疲労、ひいては精神の自由を害してしまうと考えられていたのです。このような古代から受け継がれてきた思想に、救世主の清貧な生き方を模倣するキリスト教の思想が覆いかぶさる形で、初期修道院創設に不可欠な禁欲思想の下地が作られていったのです。

3、4世紀に萌芽した初期の修道制には大きく二種類のものがありました。ひとつは独居生活の中で禁欲に勤しむ隠修士制と、私たちがよく知る共同体内において一定の戒律の下で共に生活する共住修道制です。後者が一般的な修道制として西ヨーロッパ世界に伝わりました。これらの修道制はいずれも、エジプト、シリア、パレスティナ、アナトリアなどの東地中海世界で生まれました。

最初の修道士とも呼ばれる、隠修士の代表格が聖アントニウス(251~356)です。彼はエジプトのとある村の裕福な家の子でしたが、20代のあるとき、全ての財産を投げ捨て、親兄弟との絆を断ち切って、禁欲生活を実践し始めました。彼の活動は、たんに一人の男が隠修士になったという事実を生じさせただけに留まらず、彼についての伝記「聖アントニウス伝」によって隠修士としての生活のモデルを提供し、多くの人々を修道生活へ誘う役割を果たしました。

これに対し、共住修道制を始めた修道士の代表格はパコミオス(290頃~346)です。彼はキリスト教への改宗後、隠修士として数年を過ごした後に修行を行う同志たちを集めて、厳格な戒律に基づいた生活を送る共同体を創設しました。彼は、それまでの隠修士が究極には自己の救済のみを求めていたのに対し、禁欲の辛さに耐えられないような修道士たちを助けるために、友愛的な共同体として修道院をつくりました。パコミオスの共住修道制は、後に西ヨーロッパの修道制のモデルとなり、さまざまな改革を通して中世の社会構造の中に組み込まれていったのです。

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