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チリツモ【中世ヨーロッパ情報館】

"chiritsumo” 管理人チリが、中世ヨーロッパにまつわる情報を紹介していきます。

チェイン・メイル-中核的防具から補助的防具へ

チェイン・メイルという言葉は他の中世の鎧と同じように、名前自体に問題を含んでいるようです。日本では鎖鎧、鎖帷子などと訳されるこの鎧は、小さな鉄製の輪を大量に繋ぎ合わせてつくられたものですが、この鎧をさす専門用語は、実は「メイル」(英:Mail)だけで良いのだそうです。しかし、メイルという語の分かりにくさから、チェイン・メイル(Chain mail)やメイル・アーマー(Mail armour)、さらにはチェイン・メイル・アーマーなどという冗長な語さえあるそうです。当資料室では、とりあえず一般書籍などでよく使われているチェイン・メイルという語を採用したいと思います。訳語はなんでもいいと言えば、それまでなのですが、一応鎖鎧を使います。

さて、前置きが長くなりましたが、ここからが中身です。チェイン・メイルは中世の長きを通じて、騎士の防具に不可欠なものであり続けました。他の防具にも言える事ですが、チェイン・メイルは時代が進むほど体の部位にフィットするようになり、武器の改良に対応して変化していきました。中世後期以降のプレート・アーマー(例によって名称に問題有り、詳細は別の記事にて。邦語:板金鎧)の普及は、チェイン・メイルの重要性を減じてはいきましたが、それでもほとんどの場合、プレート・アーマーはチェイン・メイルと併用されていました。また、騎士の装備がプレート・アーマーを基本とするようになると、以前はチェイン・メイルを着ることの出来なかった下層の兵卒が、騎士たちに代わって中心的防具としてチェイン・メイルを中心的に使用するようになっていったのです。

もっとも基本的なチェイン・メイルの形はホウバーグと呼ばれるもので、これは腰から膝下まであるチェイン・メイルの胴着で、およそ15kgくらいの重量がありました。多くのホーバーグは頭部を保護するための鉄頭巾(コイフ)を備えていましたが、鉄頭巾が独立しているものもありました。また腕部の先端にミトン型の手袋をもったものもありました。この場合、手首から先を手袋の部位の手前にある切れ目から、外に出すことができました。さらに、ホウズと呼ばれるチェイン・メイルの股引き(靴下まで繋がっている)もありました。これも、ズボンのように脚が抜けるものと、タイツのように脚までくるまれるものがありました。ホウズの登場によって、裾を短くしたホウバージョンも登場しました。当然のことながら、このように全身に隈なくチェイン・メイルが施された鎧ほど高価なものでした。

チェイン・メイルの下には、矢の貫通に備えたり、鎧が擦れることによって皮膚を傷つけないようにするために、キルティングした布製の長衣を着込みました。鉄頭巾の上か下にも、同様の理由で布製の厚い帽子を被りました。また、ホーバーグの上には紋章を施したサーコート(陣羽織)を着て、自分の所属を明らかにしました。鉄製のチェイン・メイルは、もちろん革の鎧よりかははるかに頑丈でしたが、かなりの重量があり、かつ剣や鈍器などの強打に耐えられないという欠点を持っていました。また、オーダーメイドのプレート・アーマーに比べると鎧の全重量が肩に集中しやすいため、長時間着たままでいると体力を消耗しやすいという難点もありました。

チェイン・メイルからプレート・メイルへの転換は中世盛期~後期を通して段階的に進められていきました。初めは、膝を守るためだけに使われた板金は、腕、胸、脚などを部位ごとにカバーするようになっていき、14、15世紀頃にはプレート・アンド・メイルと呼ばれるプレート・アーマーとチェイン・メイルを併用した鎧が一般的になっていきました。しかし、騎士の鎧の中心がプレート・アーマーになった後も、関節部分など曲がりやすいところの補助として、局部的にチェイン・メイルは使われ続けました。
2009.7.14 加筆修正

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