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チリツモ【中世ヨーロッパ情報館】

"chiritsumo” 管理人チリが、中世ヨーロッパにまつわる情報を紹介していきます。

市壁について〈2〉-James D. Tracy "To wall or not to wall"より

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▲アンティオキアの市壁、攻城戦

市壁はヨーロッパの中世都市のシンボルというべき存在です。しかしながら、全ての中世都市が市壁を備えていたわけではありませんでした。市壁はなぜ建てられたのか、というのがこの論文のテーマです。今回は、この中で紹介されているデータを見ていくことで、中世ドイツにおける市壁建築の有り様について考えていきます。
 
Heinz StoobによるMitteleuropaにおける都市分布図から、市壁のある都市の分布に地域差があることがわかります。Mitteleuropaとは中央ヨーロッパに似ていますが、少し違っていて西はカレーから東はポーランドのヴィスワ川まで、北はスカンディナヴィア南部から南はアルプス裾野のイタリア、ダルマティアまでを含むヨーロッパのかなり大きな領域のことを指しています。このMitteleuropaの都市を経度20度で東西に分けると、東側の都市そのものの少なさと同時に、市壁を持つ都市の割合も低い(西は4855都市のうち45.1%、東は768都市のうち15.5%)ことがわかります。特に西側の都市化が進んでいる地域(フランドル、ラインラント、ヘッセン、ザクセン)や争奪の的になった辺境(低地地方)で強固に要塞化された都市の集中があるようです。このデータにおいては、塁壁(rampart)や柵(palisade)しか持たない都市は市壁を持たない(Unfortified)とみなされています。
 
Deutsches Stadtebuchのシリーズ(DSB)は、都市特許状や市長などの都市行政の存在を指標としたドイツ北部、中部の1083の都市について調査している。これによると、1800年までの間で、1083の都市のうち576の都市(53%)は少なくとも一度は市壁に囲まれましたが、そのうち建設時期がわかっている428の都市のうち390の都市(91%)は1500年まで市壁を持ち、中でも13,14世紀における建設が最も多い(2世紀で71%)ことがわかります。また、都市の人口も市壁の建築と関係があったと考えられます。1500年までのおおよその都市人口がわかっている185の都市のうち、人口が3000人以上の都市は全て市壁を持っていましたが、1000人未満の都市では43%した市壁を持っていませんでした。
 
都市の法的な地位とも市壁は関係していました。特許状を持つ862の都市のうち市壁を持つのは57%に上るのに対し、特許状のない都市では41%に留まっていました。13世紀に特許状を与えられた都市に至っては77%の都市が市壁を持っていました。これは、特許状を与えた領主が都市に経済的機能に加えて軍事的役割を期待していたことを示しています。13世紀のラインラントの伯や司教、14世紀西プロイセンのチュートン騎士団などは、辺境防衛のために都市を建設しています。城を築き守備隊を置くよりも、都市に市壁を築いて市民の自衛の力を利用する方が安価だったのです。
 
また都市の社会的・経済的性質も市壁建築に関わっていました。商人による支配が行われた交易の中心地としての都市では、市民によって市壁が建設されましたが、鉱山を主産業とする都市ではあまり市壁がつくられませんでした。なぜなら、発展も衰退も急激な鉱山業の町は拡大も縮小も速く、都市域を囲い込むことや市壁建築のための富を維持するのが困難だったためです。また、港湾都市は一般に海という自然の要害が利用できたことにより市壁は少なかったようです。また、城や教会を書くとせず、領主によって建設されたわけでもない自然発生的な都市で市壁が少なかったことは、領主の設置した都市の方が市壁を持つことが多かったことを示しています。市壁建築に対する領主や国王の影響力の大きさにも地域差があり、イングランドなど王権の強かった地域では国王の認可した都市のみが市壁を持つことができ、市壁建築権が国王大権のひとつとみなされていたドイツでは、都市は市壁建設の許可を国王や領邦君主に求めました。
 
このように都市の市壁建築は、自然の要害の有無、特許状の有無、人口、都市の性質、君主による防衛や権利譲渡の思惑など様々な因子によって建設されました。この中で、市壁を持たないとされた多くの都市にも何らかの防衛設備はあったということは注目すべきであると思います。市壁(wall)と塁壁(rampart)や柵(palisade)との明確な違いはどこにあるのかを、今一度考える必要もあると思います。
 
これらのことを総合し、中世の景観を考えると、そこには確実に堅固な城壁をめぐらす数少ない大都市と、市壁のあるものもないものもある多くの小都市、そして市壁のない小都市と見た目ではほとんど変わらないと思われる防備を施した大きな農村や、それ以外の無数の小さな農村の広がりといったものを想像できるかと思います。もはや、そこには都市と農村が明瞭に分けられる景色はなく、むしろ大都市と小村とのグラデーションを思わせます。都市域とそれ以外を分断し、都市のシンボルとして、都市を農村と区別するような機能を持つ市壁のことを考えると、逆に都市と農村の曖昧な境界に行きあたるというのはなかなか面白いことだと思います。

James D. Tracy, To wall or not to wall: Evidence from medieval Germany, In James D. Tracy(ed.),City walls: the urban enceinte in global perspective, Cambridge University Press,2000,pp. 71-87
 
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