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"chiritsumo” 管理人チリが、中世ヨーロッパにまつわる情報を紹介していきます。
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親方になるためには遍歴の旅に出て修行を積まなければならない。このような条項がギルド規約に追加されたのは、15世紀中ごろからです。その後、職人の遍歴は義務化の流れに乗って増えていくのですが、それ以前にも、自主的に遍歴の旅にでる職人たちがいました。
まず、遍歴職人の走りとも言えるのは石工たちでした。中世に入ってから市壁や教会堂など大規模な石造建築が増えていきます。しかし、そのような建築物を都市内の石工だけでつくりあげることは不可能です。かといって、建設が終わればほとんど不要になる職人たちを多く都市内に住まわせるのは無駄でしかありません。(職人たちは食っていけなくなることでしょう)そこで、石工たちは、大規模な建設のある都市で数年仕事をした後に、また違う都市へと移動して言ったのです。鐘を造る際に大量に必要になる鋳物職人も、石工たちと同じように旅をしました。
15世紀に入ると状況が変わってきます。中世の最盛期を過ぎ、「中世の秋」とも言える時代に突入したヨーロッパでは人口増加が止まって、経済的発展を見込めなくなる都市が増えました。その結果、流入してくるあたらしい都市民に対し、ギルドは既存の利益を守るため親方株(つまり親方になる権利)の制限を始めました。この結果、都市には親方への昇進の見込みがない職人や徒弟があぶれることになります。都市はやっかいなことに、不満たらたらの人々を抱え込むことになったのです。
この問題の解決策として、職人の遍歴が行われたのです。彼らは1年から7年の間、各地の都市間を遍歴し働き口を探すようになっていったのです。必要に迫られた職人の行動が、やがてギルドの慣習となり、法律となっていくのです。これは、一時的に市内の不満分子を取り除くという効果の他に、経済発展の止まってしまった都市から、いまだ拡大を続ける都市への労働力の提供という効果をもたらしました。
▼聖堂を建てる石工 ▼宿屋に向かう旅人