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チリツモ【中世ヨーロッパ情報館】

"chiritsumo” 管理人チリが、中世ヨーロッパにまつわる情報を紹介していきます。

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農村の歴史 「ローマとゲルマン」

今回は中世農村の歴史の初回です。都市の発達にまた今度(というより、新しい資料の収集時間がとれませんのでストックで…)です。騎士についても忘れているような…。とにかく、中世の農村は、ローマとゲルマンの文化の融合によってなされました。そのところから紹介を始めます。


<ローマとゲルマン>

ゲルマン民族の大移動以前から、リーメス(都市の誕生 「ローマ都市」<要塞都市>参照)を通して、ローマ世界とゲルマン世界の融合が見られました。この融合が、中世ヨーロッパの農村の原型となりました。

まず、ローマから受けた様式としてはパンとワインの食文化がありました。これはヨーロッパ各地に点在していた修道院組織を中心として受け継がれました。この食文化を維持するためには小麦と葡萄が必要なのは言うまでもありません。また、ローマ時代の農業形態のひとつに、ウィラと呼ばれる農業拠点がありました。これは、ウィラの支配者である富裕者(貴族層)が奴隷労働によって行ったものです。当時の農業は、一年ごとに耕作地を休閑させて農地の地力を高める二圃制というものでした。ウィラには牧畜のための放牧地や葡萄畑が、小麦の耕作地とは別に設けてありました。

ゲルマン世界では、麦などの栽培はそれほど発達しておらず、かわりに牧畜が発達していました。パンやビールをつくってはいましたが、ローマに比べるとその規模ははるかに小さいものでした。また、依然として狩猟採集の生活も重要視され続いていました。ゲルマンの集落は小規模なもので、数世帯の家が寄り集まってできているだけでした。周辺には小規模な耕作地と、広い放牧地、そして森がありました。牛・豚の肉や狩猟した獲物の肉、畜産品であるチーズやバターはゲルマン人の摂取する栄養の大きな部分を占めていたのです。牛は休閑中の耕作地を放牧地とし、豚は森で飼育しました。このように、ゲルマンの様式では、森・耕作・牧畜が一体化した農業を行っていた。

▼「ローマとゲルマンの農業」

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次回は、このような農業の融合が、いかにして成されたかを書いていきます。「数日前に試験が近い」と書いたくせに、更新を続けていますが、そろそろ本当に問題になってきました。なので、少しの期間更新をお休みします。

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