[PR]
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
"chiritsumo” 管理人チリが、中世ヨーロッパにまつわる情報を紹介していきます。
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
今回も前回に引き続き農村についてです。カロリング朝期(8~10世紀)についてです。
<カロリング朝期>
ピピンによりカロリング朝が開かれ、強力な王権が固められた結果、大領主たちはさらに多くの土地を吸収し、領地を広げていきました。また、牧畜も前時代より発達しました。温暖な気候を利用して葡萄栽培も盛んになり、水車の利用によって、いままで人力に頼っていた仕事を軽減することも可能になりました。また、従来の二圃制に代わり、耕地を冬麦の畑・春麦の畑・休閑の三つに分けた三年輪作が生まれたことは、農業生産を増加させることになりました。冬麦とは、小麦や燕麦のことで、春麦とは大麦や燕麦のことです。
しかし、このような農業技術の発達は、ヨーロッパ全ての地域に均一的に見られたものではありませんでした。二圃制は一部の地域では今まで通り続けられました。また、鉄製の農具の普及率や、家畜の数も充分だったわけではなかったようです。そのため、三年輪作が厳密には行われず、休閑期が長くなるようなことも。ざらにあったようです。
▼「メロヴィング朝期とカロリング朝期の比較」