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"chiritsumo” 管理人チリが、中世ヨーロッパにまつわる情報を紹介していきます。
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さて、話はフランク王国にもどります。メロヴィング朝時代には分王国と呼ばれる小王国が集まってフランク王国を成していました。では、分王国の形成について紹介します。
<分王国時代>
511年にクローヴィスがパリで亡くなった後、王国は彼の息子に分割継承され、パリ、ランス、オルレアン、ソワソンをそれぞれ首都とする分王国に分けられました。558年にクロタール一世によって王国が再統一されるまでの間も王国は領土拡大を続け、534年にはブルグンド王国を完全に征服しました。クロタール一世の死後は、またも王国は分裂し、6世紀末までには3つの分王国が生まれます。大雑把に書くと、王国西部にはパリを首都とするネウストリア分王国が、東部にはメッツを首都とするアウストラシアが、そして中部にはオルレアンを首都としてブルグンド分王国が建ちました。経済力に恵まれたガリア南部は、分王国の王たちが共同管理することになりました。