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チリツモ【中世ヨーロッパ情報館】

"chiritsumo” 管理人チリが、中世ヨーロッパにまつわる情報を紹介していきます。

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攻城準備-篭城準備

ヨーロッパの年代記は、中世を通して数多の戦争があったことを今に伝えています。クレシー・ポワティエ・アザンクールなどの非常に有名な戦闘は、そのほとんどが多くの兵力を平野でぶつけ合った会戦です。しかし、当時の戦闘の主役は小貴族や騎士たちの間で、あるいは国際戦争のさなかに繰り広げられた攻城戦でした。地域の中心である城を手中にすることは、その地域までも手に入れることに等しかったのです。

 


<戦闘までに>

敵の降伏勧告を突っぱねた都市や城が、攻城戦に際してまずしなければならなかったことは、食料の確保でした。篭城を控えた城には、保存の利く穀物や塩漬けの肉類が大量に運び込まれました。また、水も篭城に欠かすことのできないものでした。事実、水源が絶たれると、城は一週間と持たなかったのです。井戸や水槽が何かの理由で使えなくなったときのために、葡萄酒なども大量に運び込まれました。

食料や水の備蓄と共に重要だったのは、木材や鉄、油などの物資の備蓄でした。木材や鉄は、簡単な矢や、槍の作成、城の補完工事などに使用され、油は熱して敵に浴びせかけるために貯められました。そして、もちろん守備兵も城に入れなければなりませんでしたが、これは多ければ多いほどよいというものではありませんでした。攻城戦において、圧倒的な優位にあった守備側は、上手くすれば攻め手の10分の1の兵力でも城を守りきることが可能であり、何より貴重な食料を減らさせないために、大人数の篭城は危険だったのです。そのため、篭城に際して、老人や女子供など戦闘能力の無い弱者はしばしば城外に追い払われました。

城や都市の攻略に先立ち、攻撃側はまず包囲予定の城の門番や守備兵、時には総司令官の買収を狙いました。これが成功して、攻城戦に入る前に攻防の決着がついてしまうこともありました。相手が簡単には買収されないときは、策略を使って城を奪うこともありました。数人の城の人間を捕らえ、彼らの服を着た潜入部隊を組織し、敵が防御体勢に入る前に城を乗っ取ってしまうこともあったのです。これらの策略が成功しなかったときには、攻撃側は長い時間と大変な労力をかけて城を包囲しなければなりませんでした。

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