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"chiritsumo” 管理人チリが、中世ヨーロッパにまつわる情報を紹介していきます。
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ツンフト内では基本的に自分の店を構えられるのは親方だけでした。職人は親方の下で働き、徒弟は親方の手伝いをしながら仕事を覚えていきました。徒弟は縁者が徒弟金を払い、親方のもと衣食住を世話してもらい、技術を教えてもらう代わりに親方のために下働きをしました。徒弟期間は2~4年ほどで、長いものでは6年続きました。徒弟期間を終えればすぐに店を持てて営業に入れるわけではなく、ほとんどは職人として町の親方の下で働くか、遍歴の旅に出なければなりませんでした。職人が親方になるためには一定の技術力(親方作品マスターピースの作成など)とともに親方加入金を支払えるだけの資金力も求められました。親方はツンフトの幹部として新規親方の採用、組合長の選出、規約の決定などの権利を持ちました職種によっては(例えば刺繍工や職工など)親方の未亡人など女性の親方が認められる場合もありました。
親方は自分の自宅権仕事場で職人や徒弟とともに暮らしました。彼らは家族の一員であり、その中でも親方は家長権を握っていました。親方の徒弟への体罰は認められていましたが、いくつもの規則でいきすぎないように限度を設けていました。例えば、1276年のアウグスブルクの都市法には「親方は徒弟を殴ってもよいが怪我をさせてはならない」と定められています。また、出血の有無を取上げる法や、殴る回数に上限を設けた法令もありました。
さて、彼らの給金にはどのような差があったのでしょうか。13世紀頃のフランスのオーギュスタン修道院建設のために働いていた石工を例にとってみます。すると日給は、親方:24(単位ドゥニエ以下同)、職人及び手伝い労働者:12となっています。つまりだいたい2:1です。また建設にかかわった他の職種の親方も、親方間での給金はほぼ変わらず、徒弟との比率も同じでした。