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"chiritsumo” 管理人チリが、中世ヨーロッパにまつわる情報を紹介していきます。
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以前書いたレーエン制に関する記事はかなり辞書的だったので、今回はヨーロッパで封建制度が生まれていく過程に焦点を当ててみたいと思います。
封建制度が古ゲルマンにあった従士制の影響を強く受けているのは周知の通りです。まず従士制についてみていきます。古ゲルマン世界は一部の有力者(王や族長、首長)からなる支配階級と、自由民と非自由民(奴隷)の二種類の人々で構成されていました。そして、自由民の男子であることは戦士であることとイコールでした。戦争になると、男は家族や一族で一部隊を編成して戦いに行ったのです。
やがて、一部の自由民が専業戦士として部族の有力者に従属するようになります。これは自ら進んで有力者の従属下に入り、彼らのために率先的に戦うことで、金銭、装備、馬、食料、戦利品などを獲得し、種々の特権を得るようになります。有力者に従属し彼らの家で給養されることと引き換えに、平時には護衛を勤め、やがて助言者にもなっていく人々を従士といい、有力者と従士とのこの関係を従士制といいます。
現物による給養はしだいに土地の授与に変化していきます。与えられた土地から上がる収益によって装備や馬などを従士自ら手配することが求められていくのです。この土地は従属への見返りですので、義務を怠たればただちに返還されるべきもので、有力者が貸し与えるといった状態でした。しかし、そこに実際に住む従者にとってはそのようなことは建前に過ぎず、しだいに土地は従士の財産とみなされるようになり、子孫に相続されていくようになります。
このときに有力者が与えた土地のことを独語で「レーエン」といいます。異民族進入の混乱期を経て、小領主、バン領主(城主層)、諸侯、王といったより広範囲に影響を及ぼすようになっていく支配階級の中にレーエン制がシフトしていき、変質を重ねて、中世の封建制度が生まれました。