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"chiritsumo” 管理人チリが、中世ヨーロッパにまつわる情報を紹介していきます。
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現代よりはるかに道路事情が悪く、交通手段も未発達であった中世においては、ものを運搬することは非常に手間のかかることだったことでしょう。領主たちはもちろんこの面倒な仕事を領民に義務付けました。これが運搬賦役です。
運搬賦役は二種類に分けられます。ひとつはアンガリアと呼ばれる重量賦役です。これは穀物や葡萄酒、塩などを荷車や牛、舟を使って運ぶものです。1年間で1、2回行われ、運搬には数日から1、2週間を費やしました。例としてライン川流域に所領を持ったプリュム修道院の中の所領ヴィヤンスの場合を見てみます。ヴィヤンスの農民は5月と12月に、荷車一台分ほどの小麦を80キロほど離れた本院まで運ばなければなりませんでした。足の速い隊商だったとしても一日に進めるのは40キロ程度だったと考えると、この賦役は往復すると一週間弱かかるであろうと考えられます。
もうひとつはスカラという軽量賦役で、これは徒歩や馬で持っていける手紙や小さな荷物などを運搬するものです。他の義務を免除される替わりに専門で軽量運搬賦役を行う農民もいて、彼らのことはスカラリウスといいます。マンスが20を超えないような小さな所領でも、中心地に近いところでは数人から十数人のスカラリウスがいました。
運搬の目的地としては各所領の中心地(修道院であれば本院や分院)や領外の都市などでした。運ばれた物資の一部はこれらの中心地に付随している市場で売られました。荘園制度の中の運搬賦役は、ものや人の流れを作り出し、商業活動を活性化させると同時に都市などの大量消費地を支える働きをしていました。運搬によって葡萄や塩などの専業生産も大いに活気づいたのではないでしょうか。