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チリツモ【中世ヨーロッパ情報館】

"chiritsumo” 管理人チリが、中世ヨーロッパにまつわる情報を紹介していきます。

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中世末期のフランス軍-勅令隊と国民弓兵隊

1453年、シャルル7世勝利王の御世、英仏戦争は100年に渡る戦争を終結します。それ以前に、シャルル7世は王国軍の改革に当たりました。終戦前の1435年、フランスはそれまで対立していたブルゴーニュ公を和平を結びました。アラスの和として知られるこの講和とそれにつづくトゥール休戦協定は、無職に陥った傭兵たちの野党化を引き起こしました。

盗賊に成り果てた傭兵たちの問題を解決するために、シャルルはロレーヌ公の要請を受けロレーヌへ遠征します。シャルルはこの地で無用になった傭兵を切り捨てると同時に、その中の一部を常備軍として再編成しました。勅令隊の誕生、1445年のことでした。この勅令隊は100個の槍組「ランス」で成る部隊15個で編成されました。装甲騎兵、剣持ち、騎士習い、小姓、弓兵2名の合計6人でひとつの槍組が構成されていたので、勅令隊全体では9000人がいたことになります。

また、1448年の勅令によってもうひとつ部隊-国民弓兵隊が編成されました。これは国民軍のようなもので、各教区につき1人の平民が徴用されたもので、規模は8000人未満であったようです。彼らには一定の訓練と検査が義務付けられましたが、平時は自宅にとどまっていました。軍務についている間は人頭税を免除され、なおかつ給金も出されました。装備は自前のものを使いましたが、あまりにも装備が貧弱な場合は教区教会から支給されることもありました。

いまや、フランス軍の華であった封建騎士部隊は予備役として登録されるようになり、軍の主力は国王に仕える常備軍と傭兵に変わりつつありました。百年戦争時代、フランス軍は封建騎士部隊、勅令隊や国民弓兵隊、都市の民兵、外国人を含む傭兵隊など様々な身分、出自の混合体になっており、ここに終わり行く「騎士の時代」の一端が窺えるような気がします。
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