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チリツモ【中世ヨーロッパ情報館】

"chiritsumo” 管理人チリが、中世ヨーロッパにまつわる情報を紹介していきます。

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小屋住農から豪農まで-様々な農民身分

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▲13cに描かれた鋤を使う農民

中世ヨーロッパを通じて、人口の9割が住んでいたのは農村地帯でした。この村に住んでいる人々は、概ね同じ社会的地位や財力を持った農奴で構成されている、というのが大雑把な農村像です。しかし実際には、大きな土地を所有する裕福な農民から、ほとんど自分の土地を持たずに小作人として働く小屋住農まで、様々な立場の農民が同じ村で暮らしていたのです。

農民たちの生活を左右したのは、歴史的・地理的背景、法的関係、そして経済力でした。歴史的・地理的背景には、土地の肥沃さや戦争の勃発などが関係しています。当時、同面積の耕地内での飛躍的な生産の増大はほとんど見込めなかったので、肥沃な土地に村があることは、それだけで農村全体の生活を向上させる要因となりました。フランスの北と南で、常に同じ種類や量の作物が作られたわけではないのはもちろんのことです。また、フェーデや国家間戦争の勃発は、軍隊の略奪・放火により、それだけで農村地帯に甚大な影響をもたらし、数年に渡って村が衰退するということもあったのです。

法律もまた、農民の地位を規定していました。例えば、イングランド王ウィリアム1世の命により編纂されたドゥームズデイ・ブックには臣民の階位が5段階で示してあります。一番上に来るのは自由民であり、以下、準自由民(ソークマン)、農奴、小屋住農(コターズ)、奴隷と続きます。この1世紀後には法的地位としての奴隷は消滅しましたが、これは彼らが農奴などのより上層の階級に組み込まれていったことによるものです。

このような位置づけはありましたが、自由民と農奴とを分けるラインが、常に明白だったわけではありません。土地に縛り付けられ、移住の自由のない農奴でも、何がしかの財産を持っていて、それを相続することができた点で奴隷とは区別されます。また、農奴によってはより多くの自由な特権を得ている場合があり、一概に不自由民とみなすことはできません。しかし、農奴の方が自由民よりも不利な条件を多く持っていたということは言えるようです。

農民の経済的地位は頻繁に流動したと考えられますが、法的地位よりは違いがわかりやすいものでした。例えば、イングランドでは農奴たちは一般に1ヴァーゲート(ないし半ヴァーゲート)と呼ばれる広さの土地を所有していました。1ヴァーゲートは現代の単位では約12haに相当します。半ヴァーゲートは普通の農奴一家が食べていくことができるおおよその最低限の土地面積でした。そのため、これより小さな土地しか持たない小屋住農は、後述の豪農の保有地や、領主の直営地での賃労働によって日々の糧を得ていました。土地の購入によって力を蓄えていった有力農民(豪農)は、当然のことながら全ての土地を自分の家族だけで耕作することはできないので、土地の一部を小作人に貸し出して運営していました。このように、農村には法的身分も経済力も大きくことなる人々が、様々な関係の中で暮らしていたのです。

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