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"chiritsumo” 管理人チリが、中世ヨーロッパにまつわる情報を紹介していきます。
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▲15世紀フランス、葡萄を摘む農民
古典古代のギリシア・ローマ世界においてワインが好まれていたことはよく知られています。地中海の底から引き上げられた当時の商船の残骸からは、オリーブ油やワインを運ぶための大量の陶器が一緒に発掘されています。ところで、古代世界ではディオニュソスやバッカスといった酒を司る神がいましたが、そもそもワインは宗教とは切ってもきれないものとして生まれたようです。ワインの語源は古代インドに遡ります。古代インドでは宗教儀式の際に興奮・幻覚作用を持つ発酵飲料が使われていました。この酒はヴェーナ(vena)と呼ばれ、これが多くのヨーロッパの言語で使われるワインの単語の語源となったのです。
さて、古代の多神教世界では宗教と結びついていたワインですが、キリスト教においてもワインは特別な意味を持ちます。ヨハネによる福音書第2章では、イエスが最初に起こす奇跡について語られています。イエス一行が出向いたガラリアのカナの婚礼において、用意されていたワインがきれてしまった際、イエスは家の使用人に瓶に水を満たすように指示し、その水をワインに変えたのです。また同福音書第6章では「わたしの肉を食べ、私の血を飲むものは、永遠の命を得、わたしは終わりの日にその人を復活させる。わたしの肉はまことの食べ物、私の血はまことの飲み物だからである」とあります。またさらに同福音書第15章「私はまことの葡萄の樹、私の父は葡萄づくりである」とも書かれています。聖書におけるワインへの言及は400ヶ所以上に上ります。ワインは聖書にあって、イエスの血を象徴するものとされ聖体祭儀(ミサ)でワインに浸したパンを食す聖体拝領に必要不可欠でした。
さて、話をローマに戻します。ローマ世界では金持ちから奴隷まで品質にかなりの差はあれど誰もがワインを飲んでいました。「ローマはギリシアを征服したが、文化的には征服された」とよく言われますが、ワインについてはローマ人はギリシアの物まねでは終わらず、自分たちで改良を加えました。大きな変化のひとつに樽の利用があります。古代ギリシアではワインは全て陶器の壺で保管されており、当初はローマでも状況は同じでした。しかし、ガリアの征服により、ケルト人たちがセルヴォワーズ(ビールの祖先)を造る際に木製の樽を使用していることを参考に紀元前後にはワイン製造に樽が広く使われるようになりました。樽によって熟成時に呼吸が可能になったことにより、ワインの風味や香りの質が向上しました。また、葡萄汁を集めるための搾汁機を発明したのもローマ人でした。さらに、搾汁機によって集められた葡萄汁よりも、葡萄を積んだ際に、自重により自然に実が潰れて流れ出る果汁から造ったワインの方が良質なものであることを発見したのもローマ人でした。
ローマ帝国内でのキリスト教の浸透、国教化につれて、さらにローマ人独自の改良によって発達していったワインですが、ゲルマン民族の侵攻に続く帝国の滅亡とともに衰退を迎えます。しかし、ヨーロッパのワインの文化が完全に廃れてしまったわけではありませんでした。宗教的意味を持ったワインはローマの行政組織を継承した司教権力や、中世初期から中期にかけて乱立する修道院を中心に継承されていきます。領域支配を安定させ、荘園経営に乗り出した貴族たちもこれに倣います。かくして、中世盛期に商業の復活を迎えたヨーロッパではローマ・ギリシア時代からの産地であるイタリア半島や地中海の島々のみならず、フランスやドイツなどのアルプス以北の地域でも活発にワインが造られるようになっていきます。ワインは、ヨーロッパに広まったキリスト教との深い関わりや、中世の母体のひとつとなったローマ時代への回帰の想いから、中世を通じ主要な飲み物として継承されていったのです。