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チリツモ【中世ヨーロッパ情報館】

"chiritsumo” 管理人チリが、中世ヨーロッパにまつわる情報を紹介していきます。

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寝間も広間も煤だらけ-農村の家

居間と寝室は中世におけるもっとも重要な家の要素と言えます。領主館にはこれに防衛施設や家臣用の部屋が、市民の家には店舗ないし仕事場が、そして農家には畜舎が加わりましたが、居間・寝室の二部屋は常にこれらの中心にありました。居間は、家族の普段の生活の場であり、食堂としても台所としても使われ、ここで家族が一緒に食事をとりました。寝室は個室に分けられておらず、これまた家族が一緒になって眠りました。簡素な造りの農家は、この二部屋構造最もよく表していると言えます。

建物は木造の簡単な造りで、壁は漆喰塗りがされていました。窓はありましたが、領主館にもめったにない硝子窓があるはずもなく、風雨の際には木製の雨戸を閉じました。裕福な農家の床は板張りでしたが、多くの農家の床は踏み鳴らされた土間で、藁が敷かれることもありました。地域や時代によって差はありますが、一般的な農家の広さは30平方メートル未満で、大きいものでも40平方メートルは越えなかったようです。家の周囲には穀物倉、家畜小屋、納屋などの農業に関連した施設が置かれていました。

居間の中央には石を積み上げてつくった簡単な炉が置かれました。かまど税が家屋税(今で言う固定資産税)の呼び名として使われていたことは、居間の中心の炉の重要性を物語っています。この炉は、部屋を温めると同時に人々に粥やスープを提供しました。この時代には、まだ暖房用の火と、料理用の火が分化していなかったのです。炉から出る煙を外に出すために屋根には穴が設けられましたが、たいした効果は上がらず炉のせいで「寝間も広間も煤だらけ」(『カンタベリー物語』)でした。暖炉がある農家は中世には稀で、煙突が農村でも普及したのは16世紀以降のことでした。

寝具は質素で、貧しい家では藁の山がそのまま寝台となりました。農家では藁のマットレス、リネンのシーツ、毛織の掛け布団があればもう立派なベッドができました。シーツはただ藁にかけられていることもありましたが、袋状になっていてそこに藁が詰められることもありました。掛け布団には羊毛が使われ、野ウサギやキツネの皮などで裏打ちされていました。中世人口の9割を占める農民は、このような大変質素な家で暮らしていたのです。

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