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チリツモ【中世ヨーロッパ情報館】

"chiritsumo” 管理人チリが、中世ヨーロッパにまつわる情報を紹介していきます。

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市壁について〈3〉-エーディト・エネン『ヨーロッパの中世都市』より

この本は、中世ヨーロッパ都市を論じたものとしては古いものですが、多くの文献に引用されている基本的な書物のようです。この本からは、近年になって新しい役割を見いだされつつある都市の城壁について、古典的な理解を提供してくれると思います。
 
まず本書は都市の城壁(この本では周壁の用語が用いられている)のことを、「死にもの狂いになって平和を求めながらもそれが得られないでいる時代の、切実な必要物」であると述べています。中世ヨーロッパにおいてはフェーデといわれる私闘が自分の権利を守るための行為として法律で認められていました。この私闘は、ゲルマン人による部族間の復習に起源を持っており、集団や個人の間での紛争解決の手段のひとつでした。絶対的な権力を持つ強力な中央政府がないために、自分の権利は自分で戦って獲得するのが当たり前とされていたのです。このようなフェーデ、あるいは国家間の大規模な戦争など、中世ヨーロッパでは戦いがいわば常態としてあり、そのことが城壁を生んでいく最も大きな要因だったのです。
 
このような状況の中で、10世紀から12世紀にかけて盛んに建設された城壁は、都市に対して大きくふたつの影響をもたらします。ひとつめは、都市の持つ集落としての二元構造を解消したことです。それまで都市は、領主の城塞や集落の起点となったローマ時代の城壁という守られた区画と、壁外にまで展開する商人の集落という、守られていない区画に二分されていたが、集落全体を囲む城壁が建設された結果、この二区画がひとつの城壁に囲まれ、ひとつの都市というかたちをつくりあげたのです。
 
もうひとつの影響としては、城壁が近隣の農村と都市とを峻別し、雑多な人間の集まりである都市住民に「われわれ意識」を形成させたことがあります。まず城壁は、住宅の密集と教会堂といった高層建築で農村地域から分けられる集落を、線で鋭く区別する働きを持っていました。また、城壁の建築は都市住民による最大の公共事業のひとつであったため、法的身分や出身地を異にした人々を「自己意識のある市民層」へと変化させていくことになったのです。
 
また、君主たちは城壁を持った都市を城塞とみなして、その建設を奨励しました。彼らは都市への減税、間接税などの都市による徴収の認可を与えることで、財政的に都市の城壁建設を援助しました。君主にとって城壁を持つ都市は、自分の懐をそこまで傷めずに防衛拠点を増加させられることを意味していたので、このように都市城壁の建設を支援したのです。

エーディト・エネン、佐々木克己訳『ヨーロッパの中世都市』岩波書店(1987)
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