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チリツモ【中世ヨーロッパ情報館】

"chiritsumo” 管理人チリが、中世ヨーロッパにまつわる情報を紹介していきます。

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アングロ・サクソン族

<アングロ・サクソン族>

410年、ホノリウス帝の決定により、帝国は属州ブリタニアから完全に撤退します。この後、ブリテンは現地人であるケルト人の諸部族によって支配されました。ブリテン島は帝国の外縁部に位置しており、支配が始まったのも遅かったため、この時代はケルトを中心とした文化が栄えました。5世紀半ばになるとブリテンには新たな来寇者が現れます。ゲルマン人です。彼らはユトランド半島(現在のデンマーク)からやってきた、サクソン、アングル、ジュート人たちでした。

アングロ・サクソンの総称で呼ばれる彼らは、ブリテン島南東を中心にエセックス、サセックス、ウェセックス、ケント、イーストアングリア、マーシア、ノーサンブリアの七つの王国を築きました。当然土着のケルト人も彼らの王国を島の北西に築いていました。ゲルマン人の侵入が激しかった七王国を総称してイングランド(アングル人の国)と呼びます。このような小国割拠は当然のように戦乱を招き、イングランドは初期中世における奴隷の一大産地でした。

イングランドではしだいに周辺諸国を従属させて、七王国全体に渡る支配権を持つ王が現れるようになります。このような大権を持つ王は、いくつかの王国で交代(もちろん平和的にではありません!)していましたが、9世紀初頭からウェセックスのアルフレッド王が、デーン人による一時の支配を除き、アングロ・サクソンの連合王国を支配しました。

08.2.6加筆修正

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