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"chiritsumo” 管理人チリが、中世ヨーロッパにまつわる情報を紹介していきます。
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前回までは、ローマ末期の時代をゲルマン人の視点で書いてきました。今回は、西ローマ帝国を中心に、帝国の滅亡までを紹介します。
<スティリコの努力>
395年、ローマは西と東に分裂します。この分裂はいきなり起こったわけではありません。286年に帝国は一度東西で分割統治されており、その後は統一と分裂を繰り返していました。しかし、テオドシウス帝の死んだこの年以降、実質的にローマは統一されることはありませんでした。さて、西皇帝の座についたホノリウス帝、彼は後見人としてヴァンダル族出身の軍人であったスティリコを立てます。彼は優れた外交手腕を持って帝国の難局を支えました。
先に述べた西ゴート族は、バルカン半島を通過し401年にはイタリアに入りました。ヴァンダル族やアラン族の侵攻の中、スティリコは国境守備の軍を引き返させ、ミラノを包囲していた西ゴート族に勝利します。間をおかず、迫ってきた東ゴート族一派のフィレンツェ包囲軍も、かき集めたゲルマン人傭兵で打ち倒します。こうしてゴート戦争に勝ったスティリコはローマ帝国の寿命を延ばすことになりました。しかし、スティリコの展開したゲルマン人に対する同盟政策は受け入れられず、しまいには西ゴート族との共謀などが疑われ、ホノリウス帝によって殺害されました。