[PR]
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
"chiritsumo” 管理人チリが、中世ヨーロッパにまつわる情報を紹介していきます。
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
度重なるゲルマン民族の侵入とそれに続いた混乱により、西ローマ帝国は紀元476年に滅亡しました。世界帝国であっ たローマの崩壊は、ヨーロッパ全土を後に暗黒時代と呼ばれる時代に突入させる要因となります。暗黒時代の混乱を恐れたヨーロッパ各地の領主たちは、地盤を 固めるため、自分たちの居館の防御を固めていきました。これがヨーロッパで誕生した最初の城です。フランク王国時代には、城はヴァイキングやマジャール人 などの異民族の侵攻を受けることの多かった地域や、当時のフランク王国の辺境であったドイツ東部や、ピレネー周辺、ブルターニュの付根などに多く造られま した。
城は領主の家という機能意外にも様々な役割を果たしました。領主の城は、常時は領主の私兵を収容し、周辺住民の監視 や搾取の拠点となりました。そのため、城は搾取した産物の集計地であり、流通の基点としても機能しました。城が商業的な重要性をより増加させ、城下に領民 が住み着き、城市の形をとることもありました。城は領主の領域支配の象徴だったのです。城を中心とした領域支配の体制は裁判領主制(またはバン領主制)と 呼ばれます。有事の際、城は主に防衛面で絶大な威力を発揮しました。また、戦略的機能も持ち合わせており、遠征の際などには補給や駐屯のための基地として 利用されました。