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チリツモ【中世ヨーロッパ情報館】

"chiritsumo” 管理人チリが、中世ヨーロッパにまつわる情報を紹介していきます。

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「ドゥームズデイ・ブック」コニー・ウィリス



またかよ、言わないでください。この本はちょっと普通の歴史小説とは違います。タイムスリップものですね。ストーリーですが…今から50年後の未来から14世紀へ中世史科の女学生キヴリンがタイムスリップ、彼女をめぐる中世の物語、そして送り出したすぐ後、伝染病が突如広まって技師が倒れてしまったため、老教授が彼女を救うために奮闘します。未来と過去、舞台には700年の時の隔たりがあるのです。

で、話の流れを追うのがこの記事の目的ではないので、とりあえずよかった点などを書きます。本全体が14世紀、21世紀、キヴリンのレポートと3つに別れ、それが交互になっているので話にメリハリがついています。また、未来人の視点から中世人がどれだけ、臭く、汚く、病気に対して無知であったかというようなことが書いてあります。緊張感の途切れない作品でずいぶん早く読みきってしまいました。

ユーモアたっぷりの言い回しや魅力的な登場人物などいい点は他にもありますが、やはり一番は中世人の描写です。こんなふうに、彼らは生きていたのかなぁ、と想像できてわくわくしました。中世の人々の死亡率は現代に比べ格段に高いものでした。それでも、彼らは毎日を精一杯生きていた。そんなことが感じられる小説です。
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「ボヘミア物語」三浦伸昭




ルターが始めた宗教改革によって生まれたプロテスタント、彼らとカトリックとの対立をきっかけに起こった30年戦争はヨーロッパ世界に大きな変化をもたらしていきます。この戦争ではプロテスタント諸侯と神聖ローマ帝国皇帝とが争ったわけですが、この100年前、同じように宗教問題を発端に、神聖ローマ帝国に楯突いた人々がいました。彼らは指導者ヤン・フスの名をとってフス派と呼ばれました。彼らの新思想や何年にもわたる戦争を舞台にしたのが「ボヘミア物語」です。

なかなかマイナーな場所が舞台です。以前紹介したワラキアほどではないにせよ、日本人にはあまり馴染みがないのではないでしょうか。高校世界史では「フス=火刑」くらいしか覚えさせられないはずです。

で、中身ですが…。面白いです(爆)なんというか、ぐんぐん読みたくなる感じです。それからフス派のハンドガンと荷車を利用した特殊な戦術は、なかなか興味深いもので、戦闘シーンなどはワクワクします。

…しかし。素人の私が言うのもなんですが、ちょっとばかし時代考証が甘いような気がします。なんかプラハが世界の中心のように描かれていますし、やたらと教皇権の強さが強調されているような気がします。また、社会主義や銃の威力など、ちょっとばかし、いきすぎな表現があるようにも思ってしまいました。こうゆうところがあんまり気にならない人にはおすすめできる本です。

職人とツンフト

ギルドの中で特にものを作る職人たちのギルドを手工業者ギルド、あるいはツンフトと呼びます。ツンフトとはドイツ語で「適当なもの」というような意味ですが、それが「社会の秩序」といった意味に変わっていきました。ツンフトはこの言葉どおり、まさに職人たちの間に秩序をもたらす組織でした。職人はギルドによって社会的な拘束を受け、徒弟は親方の下働きをして何年も過ごさなくてはなりませんでしたが、ギルドへの加入は商人や貴族などといった他の身分(多くの場合、彼らより高い)と張り合っていくための手段でもありました。彼らは親方、職人、徒弟で構成されていましたが、今回使う職人は一般的な手工業者(つまり親方、職人、徒弟をまとめて)を職人として書いていきます。

さて、ツンフトの主な役割を見ていきましょう。ツンフトは基本的に他より突出した職人を嫌いました。そのために細かく分化された他の職人の仕事を請け負うことは禁止されていましたし、労働時間も制限されていました。有利な条件で商談できる売買相手が見つかると、職人はそのことをツンフトに知らせる必要があり、これらの規則に反すると共同体へ罰金を支払わねばなりませんでした。また、ツンフトは職人の作った製品を保証し、ごまかしや不良品があった場合には市当局ばかりでなくツンフトからも罰せられ、違反が重なるとツンフトを追放されました。普通、当局はツンフト未加入の職人に対し営業を認めていなかったので、ツンフト追放はまさに「経済的な死刑と同じ」(『中世への旅 都市と庶民』H.プレティヒャ)だったのです。

大都市のギルドや、規模の大きいツンフトは各自のギルド(ツンフト)会館や専用の居酒屋を持っていました。会館にはギルドの資金が集められ、また集会や宴会もそこで行われました。祭の際には一緒になって行進し、前回書いたような社会的、宗教的な活動を共にし、仲間同士を助け合うツンフトはまさに彼らの小宇宙(中世都市)の中のさらに小さい世界でした。



近頃やっと本が読めるようになって来ました。「ボヘミア物語」というフス戦争の本を読みおわり、今は例のイスラーム本と「ドゥームズ・デイ・ブック」を読んでいる途中です。先日、ttyfさんに紹介していただいた「大聖堂」もamazonで注文しました。今から、届くのが楽しみです。いつか「おすすめ商品」で紹介することもあるやもしれません。そんな感じです。あ~ダマスクスに行きたいな~。

 


ギルドの成立

中世の都市には、同業者の集まりであるギルドが作られました。ギルドの構成員は、ともに祭事や宴会に参加し、仲間の埋葬に責任を持ち、相互扶助の義務を負っていました。社会保障制度などあるわけがなく、自力救済が基本の時代ですから、相互扶助団体の持つ意義は相当強大きなものであったろうことは簡単に予想できますね。怪我や病気になって仕事ができなくなった仲間、老人や構成員の遺族の生活を支えていたのはこのギルドでした。

彼らは職業という社会的関係で繋がるとともに、同じ守護聖人をもつなど宗教的関係によって結ばれていました。ギルドでは新しい職人の教育や技術の継承が行われ、彼らは教会に自分たちの祭壇を持ち、ミサをあげたのです。また、夜回りや見張りなど市民の義務がギルド単位で行われたり、市政参加の際にも各ギルドから代表者が市参事会を構成するなど、ギルドは行政的な区分でもありました。

中世ヨーロッパを形成するほかのものと同じく、都市に生まれたギルドは古代ローマとキリスト教の影響の上に成り立ったものでした。古代ローマには同業者組合コレギウムがあり、これがキリスト教の受け入れとともに宗教的に結び付けられた相互扶助集団へと変化していったのです。このような流れを受けて、まず遠隔地交易を共にすることで団体を築いていった商人が商人ギルドを、次いで都市に定住する職人が手工業者ギルド(ツンフト)を形成していきました。



これから雑記は下にします。まぁ、別にどうでもいいんですが…。え~ギルドです。親方、職人、徒弟、ツンフト革命、ギルドの掟、などを追加予定です。いや、それにしてもイスラームは楽しい。 

07.10.30加筆修正

 


「傭兵ピエール」佐藤賢一

今週の土日は謎のARDF大会です。忙しい忙しい…ということで商品紹介で間を稼ぎ…。





ジャンヌ・ダルク。西洋史を知らない人でもまずは聞いたことがあるであろう有名な救国の英雄。彼女と共に戦った一人の傭兵隊長ピエールを中心にこの話は展開されます。百年戦争後半戦、政争の末の暗殺とそれに対する報復で内戦状態に突入していたフランスにイングランド軍が侵攻し、ロアール以北はすでにアングロ・ブールギニョン同盟(イングランドと内戦中のブルゴーニュ派の同盟)傘下に入り、王太子シャルルを擁護するアルマニャック派は都パリを追われていた、そんな時代です。

筋はもういたって普通にジャンヌの快進撃から始まり処刑へと流れていきます。ここはあまりにも有名なので省略。で、この本の見所ですが…やはり佐藤さんの描き出す魅力的なキャラクターたちです。頼りになる傭兵隊長ピエール、我侭な隊長代理ジャン、守銭奴の会計人トマ、聖女の輝きと愛らしさを併せ持ったジャンヌ、彼らに導かれてどんどん続きが読みたくなっていきます。

傭兵隊長からの視点なので、なかなか都市や戦場での生活はなかなか臨場感溢れるものです。最後には驚きの展開があったりと、まさに痛快な小説です。ちなみに私はこの本を読んで中世史をちゃんと勉強し始めました。同著者の「双頭の鷲」とあわせて百年戦争の前半と後半とを小説として楽しめるものになっています。

水車 「用途の多様化」

製粉は水車の最も一般的な用途です。水車は普通、聖俗の領主が所有しており粉挽き人にそれを貸し出すという形をとっていました。領主たちは農民たちに強制的にこの水車で粉を挽かせて、その使用料を取っていました。挽き賃は地域や時代によって異なりますが持ち込んだ小麦の20分の1から10分の1くらいでした。この強制を徹底するために当時の農民は自家用の石臼を所有を禁じられていましたが、相当数の臼が自宅で使われていたようです。粉引きの臼ではビールを造るための麦芽の粉砕や、鉱石の粉砕が行われました。

また縦回転のローラー臼の誕生によって、オリーブやサトウキビ、樫の樹皮などの原料を潰して油や砂糖、タンニン(革をなめすのに使われる)を抽出したり顔料製造が行われました。ローラー臼はすり潰す用途のほかにも金属などの研磨に使われました。

クランクやカムの利用で水車の回転運動を上下運動へと変化させた水車もあり、そうしてできた水力ハンマーは織りあがった毛織物を叩いて強くする縮絨作業に使われました。また縦運動の水車は金属加工においても大きな革新をもたらしました。鉱石の粉砕、ハンマーによる鍛造、水力ふいごによる品質の向上と生産の拡大などです。水車はその他にも金属板の圧延・切断、硬貨の鍛造、坑道の排水、換気、鉱石の巻上げなどを行い、中世の工業に欠かせないものとなりました。

▼ローラー臼
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▼回転砥石
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▼水車による鍛造
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▼水力ふいご
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水車 「普及」

古代はそれほど普及もしておらず、仕事の多様化もなかった水車は中世の時代に飛躍的な発達を遂げました。ヨーロッパの河川は水量が安定していて水車を使うのに適していたこと、奴隷労働が基本的に消滅しまた人口も減少して労働力不足に陥っていたことが水車の伝播に大きな役割を果たしました。

またシトー会を始めとする修道院が水車小屋を置いたことや、領主や商人などが水車利用の利益に注目したこともその水車の普及の要因となりました。そしてアルプス周辺地域や北フランスで新しい水車利用の技術(水車の縦運動化など)が生まれたことにより水車は中世の工場のようなものとなっていきました。

 

前の記事でも書きましたが、11世紀末のイングランドには5000を超える水車が存在しました。そのような総括的な資料は他の地域にはありませんが、例えばフランスのピカルディ地方では11世紀初期に40あった水車が12世紀末には245へと増加し、同じくオーブ地方では11世紀にたった14だったものが13世紀初期にはおよそ200に増加しました。


風車 「水がなくても」

風車の起源は古代エジプトにまでさかのぼるとも言われていますが、記録に残されているものでは10世紀頃、現在のイラン・アフガニスタンの国境地域に作られたのが最初だとされています。この地域では水車の原動力となる河川が少ないことを考えれば、強風が吹くこの地域で風を使った機械を作ろうとしたことも不思議ではありません。風車は主に、井戸水の汲み上げや製粉に使われました。さて、本題のヨーロッパの水車の話に入ります。

中世ヨーロッパで風車が登場するのは12世紀初期です。風車はやはり水流に恵まれない地域を中心に普及してゆき、例として13世紀、フランドルのイーペル周辺だけで120の風車があったと記録されています。また、風車といえばオランダですが、この地に風車がやってきたのは13世紀後半のことです。写真などで何度も目にしたことがあると思います。オランダでは14世紀末頃からは干拓のために多くの排水風車が活躍しました。

また、風車は時代とともにその形を変えていきます。初期の風車は車がついた箱を木柱「ポスト」の上に乗せて、風の向きに応じてその箱を回転させる箱型風車でした。しかし、本体を動かすのは労力がかかったために、14世紀に入ると風車の頭の部分だけを回転させることができる塔型風車が登場します。これらの風車は製粉が主な仕事でしたが、オランダなどでの干拓や水車も行うようなさまざまな用途に使われるようになっていきました。

▼箱型風車
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▼塔型風車
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「冬のライオン」 アンソニー・ハーベイ 監督

ネットが復旧!万歳!歴史映画観ましたのでそのことなど…






12世紀、イングランド。時の王ヘンリー2世は悩んでいました。彼の広大な領地(イングランドとフランス西半分)を3人の息子の誰に継承させるか。彼は結論を出すために、シノン城へ当事者たちを呼びつけます。獅子心王の名で知られるリチャード、ジェフリー、そして末っ子ジョン、妻で大領主を持参金として持ってきたエレノア、フランス王フィリップです。彼らがもう、謀る謀る謀る。すさまじい権力闘争、身内のいがみ合いです。

当時の権力闘争や王族の関係など、なかなか面白いものを見せてくれました。ただ、今の歴史スペクタクルなんかを見た後だと、やっぱり華がないですねえ。まぁ、これはこれで、という感じです。

水車 「舟水車、橋水車、潮力水車」

今日は暑かったですね。(関東在住)最近は涼しくなったと思っていたんですが…まぁ、夜はぜんぜんマシになりましたが…。中世の人々は(今の日本のような殺人的な気候ではないにしろ)気候をすべて直に受けて生きていたんですよね。たくましいことです。



前回紹介した二種類の水車以外に特赦な形状をした水車があります。まずは舟水車。その名のとおり舟の舷側に水車がとりつけてあり、舟上に設置された臼で製粉を行います。古代ローマ時代からあったとされており、ゴート族の攻撃で通常の水車が使えなくなった際にベリサリウスという将軍が考案したものだと言われています。中世になるとヨーロッパ広域に普及し、12世紀後期、セーヌ川ではパリ周辺に70隻が置かれていました。また、中世盛期になると臼や歯車などの機構を舟から移して、橋の下に水車を設置する橋水車も登場しました。

また、沿岸部では潮の満ち干を利用して水車を回すものがありました。河口などにダムをつくり、干潮時に水門を開けて車輪を回すのです。13世紀、イギリスには38台の潮力水車がありました。しかし、11世紀末のイギリスには5624台の水車があったとされていますので、このような型の水車は非常に稀だったといっていいでしょう。

  ▼舟水車

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▼橋水車
 
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