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チリツモ【中世ヨーロッパ情報館】

"chiritsumo” 管理人チリが、中世ヨーロッパにまつわる情報を紹介していきます。

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獅子と鷲-中世の紋章

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▲フランスの軍船、紋章付きの盾を並べている

文化や生活の多くの部分、でローマやゲルマンの影響を色濃く受けている中世ヨーロッパ世界において、紋章は例外とも言える存在です。紋章は中世の封建制の中で生まれた特異な存在でした。

これまで多くの学者が紋章の起源を、古代ギリシャ・ローマ、ゲルマン文化、あるいは東方などに求めてきましたが、今では中世の紋章は、これらが起源となったのではないと考えられています。

中世の紋章は戦闘の中で甲冑を着込み、兜を被った戦士たちを見分けるために生まれました。一番目につきやすい盾にその人物を表す紋が描かれたのです。紋章の基本形が盾の形をしているのはそのためです。12世紀頃までにその紋は個人を示すものから一族を表すようになり、子孫に受け継がれていきます。

12世紀以前にも盾に模様や図柄が施されていることがありますが、これらは同一人物が規則性のある柄を使っていないことから、装飾性の強いもので、人物の識別や権威の象徴としての意味を持たないため紋章とはみなされません。また、紋章が生まれたのは戦場で識別の必要性があったこと以外に、中世の封建社会という社会の中で、新たに生まれた騎士・貴族という身分を強烈に印象付ける効果も持っていました。

紋章は戦場でその人が誰なのかを瞬時に見分けるためのものですので、形や色が厳格に規定されており、またその目的のために親子、兄弟の間でも同じ紋章を持つことはできませんでした。戦士が持つものだった紋章はいつしか、国家、都市、ギルドなどの諸団体や一般人も持つようになります。しかしやはり大部分の紋章は貴族が使っていました。以下では、貴族の紋章について紹介します。

家紋となった紋章は代々継承されていくものですが、ここで疑問が生じます。親子間で同じ図柄を持てないならばどうやって紋章を継承したのでしょうか。もちろん新たに加わった家門を付け足すことで紋章を変えていくことはできますが、毎回そのようなことをしていたら多すぎる図柄で紋章が複雑になり過ぎてしまいます。

そこで以下のようなことがなされました。イングランドを例にとりますと、百年戦争の黒太子(ブラック・プリンス)として有名な皇太子エドワードの紋章は、父王エドワード3世の紋章に、Eが横になったような図がついています。このマーク「レイブル」は長子を表しています。先代の王が死ぬと、このEがとれて父王の紋章をそのまま継承できるのです。ちなみに兄弟はまた違ったマークが付加され、その紋は王位を継がないかぎり消えないようです。現代でも紋章の残るイギリス王家を例にとると、エリザベス2世の長男チャールズのレイブルは銀一色、次男アンドリューはレイブル中央に碇の図がついており、三男のエドワードのものには薔薇がついています。


▼当時のイングランド王家の紋章
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▼黒太子エドワード
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▼チャールズ皇太子の紋章        
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