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チリツモ【中世ヨーロッパ情報館】

"chiritsumo” 管理人チリが、中世ヨーロッパにまつわる情報を紹介していきます。

池上俊一「動物裁判」講談社(1990)

 

 <目次>

プロローグ
 
第一部 動物裁判とは何か
1 被告席の動物たち
2 処刑される家畜たち
3 破門される昆虫と小動物
4 なぜ動物を裁くのか
 
第二部 動物裁判の風景―ヨーロッパ中世の自然と文化
1 自然の征服
2 異教とキリスト教の葛藤
3 自然に対する感受性の変容
4 自然の観念とイメージ
5 合理主義の中世
6 日本に動物裁判はありえたか
 
エピローグ
 



13世紀から17,18世紀にかけて、ヨーロッパでは動物裁判という奇妙な慣行が存在していました。そこでは、弁護人や裁判官も登場するような厳密な裁判が行われた上で、子殺しの雌豚が吊るされ、獣姦の相手となった牛や驢馬が火炙りの刑に処されました。また、農作物を荒らしたり、収穫を台無しにしたりするバッタや毛虫、ネズミたちは、農民の嘆願を受けた聖職者によって聖水を振りかけられ、それでもだめなときには破門されたのです。動物や虫を人のように扱うこのような行いは、現代人からみると、呪術的要素に満ちた中世の蒙昧のなせる技のように思われてしまいます。しかし著者は、この行いは、人間と自然との関係の、革命的な転換を母胎として始まったと考え、キリスト教的人間中心主義と自然との闘い、人々の自然観の変質と合理主義が、このような動物裁判を引き起こしたのだと主張しています。
 
第一部では動物裁判と昆虫や小動物への破門の史料を紹介し、それらの裁判の実態がいかに人間のそれと同じように運用されたかが示されています。動物裁判の主役は、当時まだ野生の猪と大差なかった豚で、猛り狂った豚が人間を食い殺してしまう事件は日常茶飯事だったようです。また、動物たちはただ人間に断罪されるだけではなく、例えば召喚に応じないネズミの弁護人は猫の脅威のために仕方がないのだ、と主張しています。また、動物裁判は、蒙昧な民衆による動物への勝手な私刑ではなく、公権力(領主裁判所や司教代理判事)の介在する正式な裁判であり、当時のエリートたちはこの動物裁判を黙認ないし是認していました。では、いったい動物裁判はどのような視点から捉えられるべきものなのか。それは続く第二部で明らかにされます。
 
第二部では、動物裁判を民衆の迷信や、動物を擬人化する考え方とは区別して、人間の自然観の転換にその要因をみています。11,12世紀、中世の自然を代表する森は、大開墾運動の中で切り開かれ、水車や風車の普及は自然を人間の利用するエネルギーとしてみる目を養いました。さらに、自然への崇拝や畏怖は、三位一体の神を唯一の崇拝対象とするキリスト教によって、一部の聖性をキリスト教的なものへと代替させた他は、破壊され、悪魔への変性を押しつけられました。また、このような動きは、自然をただ畏れるだけの対象から、観察し、愛玩し、感情移入する存在へと変えていきました。絵画や彫刻、文学作品の中での自然の描き方をみていくことでそのことは理解できます。

また、中世に目覚ましく発展した合理主義の観念は、人間の服すべき神の自然法と、宇宙の秩序を維持する普遍法を一体化する結果を生み、そのことは、万物の霊長たる人間が、神の法の下にある人間の法をもって、動物(自然)を裁くことを正当化しました。古来、自然の秩序を傷つけた人間が人身御供にされたのと正反対に、人間による秩序を傷つけた動物が人によって裁かれることになったのが、動物裁判でした。18世紀以降に発達した自然科学は、自然を人間とは独立した固有の論理をもって営まれていることを認識させ、そのことは人間中心主義的な自然支配に疑問をもたらし、動物裁判は終わりを告げます。近代世界を生み出した、人間中心主義の自然観の下に、合理主義の流れが交わって誕生したのが動物裁判だったのです。
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