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チリツモ【中世ヨーロッパ情報館】

"chiritsumo” 管理人チリが、中世ヨーロッパにまつわる情報を紹介していきます。

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トゥール・ポワティエの戦い

カールの治世に、封建制の萌芽が見られます。


<トゥール・ポワティエの戦い>

カール・マルテルはイスラム教徒とも戦いました。西ゴート王国を滅ぼしイベリア半島を手中にした、アブドゥル・ラフマン率いるイスラム軍は、732年にピレネーを越え、フランク王国に侵入しました。カールは全土から兵士を招集します。両軍はトゥール・ポワティエの戦いで激突し、フランク軍が勝利します。この戦いでアブドゥル・ラフマンを失ったイスラム軍は、ピレネーの此方から一掃されました。

トゥール・ポワティエの戦いでは、フランクの歩兵がイスラムの騎兵を破りましたが、これにはかなりの苦戦を強いられました。この経験を生かし、カールは騎兵の大幅な増員を目指しました。しかし、騎兵隊を構成する家臣団を、王自ら雇うのには経済的に無理があります。

そこで、家臣に土地を与え、自前で騎兵を用意させようとしました。カールは家臣に与えるために、王国領の大きな部分を占めていた教会や修道院の領地を没収し、教会に対しては、土地を与えられた家臣が税を、土地の平民が十分の一税を支払うことでこれを承諾させました。

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