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チリツモ【中世ヨーロッパ情報館】

"chiritsumo” 管理人チリが、中世ヨーロッパにまつわる情報を紹介していきます。

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帝国統治の担い手とその変容

共和制ローマにおいての、国家運営の担い手の中心は元老院議員「セナトール」でした。帝政ローマが発足し、国家統治における皇帝の権力が増したとはいえ、いまだセナトールは権力の中枢にいました。4世紀前半の皇帝の組織改革によって、従来のセナトールに加え、新しく抜粋された人材がセナトールの肩書きを得、その肩書きは世襲のものとされるようになります。こうしてできた、帝国の新しい指導層はセナトール貴族と呼ばれます。彼らは、高級官僚として、広大な土地の所有者として帝国を支配しました。また、セナトール貴族は互いの婚姻関係により社会的に結ばれた身分を形成していました。

都市部でキリスト教が広まると、セナトール貴族の司教への転進が頻繁に見られるようになります。キリスト教会は、信者の増加と共にその影響力を大きくし、 行政権などの俗界における権利もっていました。そのため、教会の重要ポストである司教の位は、セナトール貴族にとって魅力的な地位でした。また、帝政末期 になると、解体しつつあった帝国の業務を引き継ぐ形となった、キリスト教での要職への転進は、変わりつつある世界のなかで、常に影響力を持ち続けるために は重要なことだったのです。

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