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チリツモ【中世ヨーロッパ情報館】

"chiritsumo” 管理人チリが、中世ヨーロッパにまつわる情報を紹介していきます。

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封鎖の中で

防衛側の篭城が始まっても、すぐさま石弾が飛び交う戦闘状態に入るのではなく、攻撃側は城を兵糧攻めにすることを第一目標としました。兵糧攻めは、攻撃側の補給が万全で、且つ城の封鎖が完璧に行われると成功しました。しかし、兵糧攻めが長引くと、攻撃側の陣営も疲労してしまいましたし、士気が下がることで脱走兵も出し始めます。そして、通常防衛側より多人数の攻め手に供給する食料が常に万全にしておくのは非常に困難でした。また、攻め手の側に伝染病が蔓延することも稀ではなく、酷いときには攻撃側の軍勢の敗走を招きました。そして、篭城側が冬まで持ちこたえると、ほとんどの場合攻め手は陣を解かなければならなくなりました。冬の攻城戦は、安定した居住空間を持たない彼らにとってに明らかに不利だったのです。

また、攻撃側はただ城が飢えるのを待つだけでなく、さまざまな行動をとって降伏を早めさせようとしました。攻撃側が行った篭城側への行動として大きかったのは、水の補給の断絶でした。城内に井戸があり、それが正常に機能していると兵糧攻めには時間がかかりましたが、水を絶たれれば城は長くは持ちません。攻め手は、家畜の死骸や排泄物を投石器で城内に放り込んで、篭城側が使っている井戸や水槽などの水を腐らせ使い物にならなくしました。また、これにより伝染病を引き起こすことも狙いのひとつでした。また、城が外部から水を水道管などで引き込んでいる場合は、これ幸いと破壊したのです。

 

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