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チリツモ【中世ヨーロッパ情報館】

"chiritsumo” 管理人チリが、中世ヨーロッパにまつわる情報を紹介していきます。

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首都なき王国-ドイツ

中世を通して神聖ローマ帝国の中核たるドイツ王国は首都を持ちませんでした。この伝統はフランク王国から引き継いだ、広すぎる領地を確実に支配するための知恵でした。交通・通信手段が未発達であった中世の時代、諸侯が割拠するドイツ全体をひとつところから座して統治することはとうてい不可能でした。

そのため、歴代のドイツ王は王国に点在していた王宮を持つ都市を巡回しては、行政・裁判などに当たっていたのです。王宮を持つ都市には御領地管理役人がする大小の王領地が付属していました、様々な特許や寄進と引き換えに各地の教会に宮廷が逗留する際の給養を義務付け、司教座都市や修道院に滞在しながら政務を執ることもありました。国王の支配は、こうした各地の拠点を繋ぐ網の形で行われたのです。

宮廷は数百人ほどの集団を構成して王とともに各地を巡回しました。宮廷メンバーには厩役や内膳役など宮廷の警備や教養などの宮内職を担う王直属の家臣、さらに実際に行政に携わる文官としての聖職者たちがいました。さらに諸侯も王の相談役として宮廷に参加し、王妃も侍女を引き連れて共に移動しました。



今回は未分化モノ(?)です。中世の王都。フランスはパリ、イングランドはロンドン、ドイツは…となってしまうのはこうゆう理由だったんですね。国家・民族意識が生まれるのが遅かったドイツらしいといえば、ドイツらしいです。

両シチリア王国小史は両シチリア王国「誕生」小史になりました。こうやって各国の誕生を並べてみるのもいいなあ、と…要するには国政史はやっぱりあんまり好きじゃなかったんです。いや、面白いんですが、なんとも。このシリーズ(本当にやるのなら)ノルマン・コンクエスト→イングランドやらフランク王国→ドイツ・フランス(もうやってますね)やら第一回十字軍→十字軍国家やら美味しい所が扱えるんです。
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