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チリツモ【中世ヨーロッパ情報館】

"chiritsumo” 管理人チリが、中世ヨーロッパにまつわる情報を紹介していきます。

中世農業革命 その1

中世ヨーロッパの時代三分割の真ん中、中世盛期に農業は飛躍的な発達を迎えます。この発達は技術の発展や人口増加、大規模な開墾運動などが互いに影響しあって、農業革命期とも呼べる時代を作り出しました。さて、これらの要因となった事物をひとつづつ見ていくことにしましょう。



【水車と風車】

以前の記事でも紹介したように水車は中世より遥か昔に生まれていましたが、本格的に使われだしたのは11世紀以降のことでした。風車の普及は少し遅れて12世紀末頃からのことです。これら自然を利用した機械は、それまで人力や畜力に頼っていた農業以外の労働を代わって行うことにより、農民の生活を一変させました。

【鉄製農機具】

ピレネーやライン川流域で10世以来拡大してきた鉄の生産が、村にも鉄器の普及をもたらします。鍛冶屋は、農民に鉄製の斧や鋸、犂を提供しました。その中でも特に重要なのは重量有輪犂です。この犂は名前の通り、それまで使われていた軽量の犂に比べて重く、またふたつの車輪を備えていました。鉄製の犂刃を持つこの重量有輪犂の登場で、土を掘り返し通気や水はけをよくするための畝を作ることができるようになりました。また、12世紀になるとそれまで犂を引いていた牛に代わって馬が使われるようになり、生産性が向上しました。

【三年輪作の普及と三圃制の始まり】

カロリング時代にすでに始まっていた三年輪作システムがさらに普及し、一部ではこれを共同体全体で行う三圃制が始まります。三圃制では各々の農民の耕作地をまずひとまとめにして、それを春畑、冬畑、休閑地の区分にわけて、村全体での共同作業で農作業を行うようにしたものです。農民は各区分に自分の取り分を持っていました。三圃制が始まった理由としては、まず共同作業が行えるほどに集村化が進んだこと、方向転換の難しい重量有輪犂を有効に使うため、そして家畜数頭と高価な重量有輪犂をひとつの家族では所有できなかったことなどが挙げられます。効率的な団体耕作の結果、それまで2倍ほどしかなかった収穫率は3~4倍、最高の例としては10倍にも増えました。

【集村化】

三圃制普及と並列して進むのが集村化です。それまで数戸の家が緩やかに集まっているだけだった散村から、より共同耕作がし易いように農民の住居が一箇所に密集していきます。彼らは教会やそれに付随する墓地、あるいは領主の城砦などを中心にして集まり、共有の森林や放牧地を設けるようになりました。一箇所にまとまったことで防衛上の利益を得ようと村の周囲には防護壁や柵が設けられることもあり、また中心に城がある集落でなくとも、村でほとんどの場合唯一の石造建築であった教会がしばしばその役目を引き受けました。こうして血縁的関係の強かった大家族的な散村は、地縁的に結び付けられた大規模な村落共同体へと変化していったのです。

               ▼干草を刈る農民(13c仏) ▼犂で畝をつくる農民(15c英)
                                  
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久々の更新です。その2では人口増加と大開墾運動について紹介したいと思います。

 

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