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チリツモ【中世ヨーロッパ情報館】

"chiritsumo” 管理人チリが、中世ヨーロッパにまつわる情報を紹介していきます。

服の色から考える修道士の表象

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▲鎌で麦を刈る修道士(シトー会)1109年
茶色の頭巾付きローブを着て、腰を縄で締めている。

質問に答えるかたちで…

Q:年代、場所はどこだか分かりませんが、中世ヨーロッパの修道院で、茶色の衣服で腰周りに紐かベルトか何かを結ぶスタイルで、その茶色の下に更に白い衣服を重ね着していたところはどこかありますでしょうか?インターネット上で探した限りは、修道士の衣服は黒、白、茶のいずれかを基本色としている印象で、茶色の下に白を着ている図というのは今のところ自力では見つかっていません。もしご存知でしたらいつ頃のどの教会(または宗派?)というのを教えて頂けますと幸いです。



A:ヨーロッパにおける修道制の主流となったベネディクト会(9世紀~)の修道士は黒い修道服を採用したために「黒い修道士・黒僧」と呼ばれました。クリュニーの修道院もこれに含まれます。一方、修道院改革の中で生まれたシトー会(12世紀~)の修道士は黒い袖なしの下に白い衣服を着用していたために「白い修道士・白僧」として知られています。また13世紀に出来た托鉢修道会であるフランチェスコ会士は、同じように衣服の色から「灰色の修道士・灰僧」と呼ばれました。

このように中世の修道士は衣服の色と関連付けられた名を持っていましたが、衣服の色によって修道士を区別するというのは実際には困難で、この区別は観念的なものでした。というのも、これらの色は染色や脱色によってつくられたというより、粗末な未染色の羊毛をそのまま織った結果として生まれたものであるからです。そのため、修道服の色は同修道会内でも黒、白から灰色、褐色を含むものまで様々だったのです。極端に言うと、灰色服のベネディクト会士も、黒服のフランチェスコ会士も珍しくなかったであろうということです。未染色の衣服を着ることは、赤や青などの派手な染色が好まれた中世にあって、修道士の清貧さや質素さの象徴でした。

ベルトないし腰紐についてですが、中世人の一般的な服装であったローブや丈の長いチュニックを着る際によく使われていたようです。フラチェスコ会士はローブを縄(コルド)によって締めていたためにコルドリエという名で呼ばれることもあるそうです。あえて質素な縄を使うのは物欲を排す修道の理念にかなっていたわけです。また、下に着ている衣服についてですが、こちらも中世人一般が白い(未染色)リンネル製の肌着を用いていました。ただ、夏の間はローブやチュニックを地肌にそのまま着ることもあったようです。

答えをまとめますと茶色の衣服を着た修道士が、どこの修道会に属すのかは明確には判別できないと思われます。ベネディクト会の「黒僧」やシトー会の「白僧」のようにどこかの修道院の衣服として茶色が定められていたという可能性はないとも言い切れませんが、今のところ聞いたことはありません。また、ベルトは中世人一般に使われており、肌着と思われる白い衣服は丈の長い衣服に隠されてしまっているのではないかと思われます。
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