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チリツモ【中世ヨーロッパ情報館】

"chiritsumo” 管理人チリが、中世ヨーロッパにまつわる情報を紹介していきます。

カイト・シールド-騎士の凧型盾

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▲金メッキされたブロンズ製小箱(1140年)
http://www.spartacus.schoolnet.co.uk/MEDkite.htm
 
10世紀初頭、ヴァイキングとしてヨーロッパを荒らしまわったデーン人の一指導者フラルフは、西フランク王シャルル3世との協定の結果、それまでに実質的にヴァイキングの支配下にあったフランス北部地方を獲得しました。912年、洗礼を受けたフラルフはロロとして知られるようになります。ロロと彼に従ってきたデーン人は、世代を経るうちに現地の言語・宗教・慣習・法制度などを受け入れフランク人と同化していきました。このノールマンニ(北方人)の国、すなわちノルマンディーが、ノルマン人たちの故郷となるのです。カイト・シールドは、このノルマン人を発祥とする新しいタイプの盾でした。
 
カイト・シールドは、名前の通り西洋凧(カイト)の形をしている盾です。それまで一般的だった円形の盾に比べて、逆三角を伸ばしたような形のこの盾は肩から脛にかけてという広い範囲を防護することができました。馬の豊富であったノルマンディーでは、ノルマン人たちは先祖たちが船にもっていたのと同じような愛着を馬にも抱くようになり、彼らは騎兵としての技能を高めていきました。カイト・シールドは、そのようなノルマン騎兵たちにとって最適な防具だったといえます。下端は騎乗の際、邪魔にならないよう細くなっていましたが、この細さは剣によって守られていない左側の片足を守るだけなら充分でした。また、盾の裏側には短い革紐(エナーム)が二本縦につけられており、使用者は左腕をこの二本の革紐に通し、その手で手綱を握ることができました。さらに、長い革紐(グイジェ)を肩にかけることで、移動時に盾を背負うこともできました。
 
11世紀、イングランドや南イタリアに進出していったノルマン人の移動に伴って、カイト・シールドもヨーロッパ中へ広まっていきました。この盾は、前述のように騎乗した兵士が使いやすいようにつくられていたため、ヨーロッパの騎士たちの標準装備となっていきます。数世紀に渡る鎧の重装化により盾は小型化していく傾向にありましたが、基本的な形が変わることはありませんでした。その中で生まれた、下端が短くなったカイト・シールドを特にヒーター・シールドと呼ぶこともあります。しかし、15世紀以降、板金鎧(プレート・アーマー)の普及により手足の装甲が強化されると、もはや盾は不要となり、カイト・シールドが騎士を守る時代は終わりました。
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