忍者ブログ

チリツモ【中世ヨーロッパ情報館】

"chiritsumo” 管理人チリが、中世ヨーロッパにまつわる情報を紹介していきます。

肉は週に三食-テンプル騎士団の衣食住

3911e119.jpg
▲騎士団最後の総長ジャック・ド・モレー

被服長官が騎士団幹部に含まれていたことは、この騎士団内における衣服の重要性を物語っています。中世において、衣服は実用的な意味の他にも、それを着る人々の所属する集団や身分、階級などを表す記号として大きな意味を持っていたのです。騎士の服装は、会則によって厳密に定められており、白い長衣とマントからなっていました。12世紀中旬以降、長衣の胸の前とマントの左肩に赤い十字が施されるようになります。衣服の白は、白衣の修道士と呼ばれたシトー会からの影響を受けており、穢れの無い純潔を意味していました。また、赤い十字は信仰のための戦いで流される血、騎士団の犠牲的精神を表しています。

奢侈虚飾は疎まれ、騎士は騎士団から貸与されたこれらの服以外の衣服を着たり、服を飾り付けたりすることが禁じられ、さらに中世に流行したとんがり靴や長髪も許されませんでした。しかし、派手好きな王侯や貴族出身の騎士たちにこの規定を守らせるのは容易ではなかったらしく、この規則は時代が下るにつれてなおざりにされていったようです。また、従者は茶色や黒の衣服を支給され、上位の騎士たちと区別されました。

騎士団の規制は食事にも及んでいます。彼らは修道士として大食を戒められるのと像同時に、異教徒との戦闘を任務としていた騎士でもあるという特異性のために、一般の修道士であれば奨励されはするものの非難されることはない、個人的な断食をすることも禁じられました。彼らは、決められた分量を、決められた時間に食べることが求められていたのです。そのために、4人がひとつのテーブルを使用して、おたがいに食べすぎないし勝手な断食が行われていないか監視しました。

一日の食事は中世の人々の平均と同じく2回で、今で言う朝食を抜いた、昼食と夕食のみのものでした。食事中は騎士団所属の司祭が聖書を朗読するのを静かに聴きながら、沈黙を保たなければなりませんでした。沈黙は徳目とされたため、一日の締めくくりの祈りである終課後の会話は禁じられ、さらに飲食も総長の特別な許しが無い限りは出来ませんでした。週に14回ある食事のうち肉が供されるのは3回で、日曜には肉が二皿出されました。ただし、二皿の肉料理を食べられるのは騎士だけで、従者には通常通り一皿のみであり、食事においても騎士と従者は区別されています。

衣服と同じく、寝具も被服長官から支給されました。団員の騎士は藁のマットレス、シーツ、毛織の掛け布団をそれぞれあてがわれ、下着姿で寝ました。就寝時間は早く9時ないし10時頃でした。幹部級の団員には個室が割り当てられていましたが、平の修道騎士は複数のベッドがある部屋で一緒になって寝ました。

PR