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チリツモ【中世ヨーロッパ情報館】

"chiritsumo” 管理人チリが、中世ヨーロッパにまつわる情報を紹介していきます。

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ツンフト闘争 その2

【アウグスブルクの場合】

ドイツ都市からは、都市の支配者であった司教から自由と自治を勝ち取ったアウグスブルクを例にとってみます。14世紀に入って、やはりここでも寡頭政治を行う都市貴族と一般の手工業者の間で対立が生じてきました。1368年、アウグスブルクの職人たちは門や市庁舎、広場など都市の中枢を占拠して、ツンフトの旗を立てて市内を行進し、市参事会に対して、新しい契約団体(都市貴族も職人も含む全市民の団体)の結成を求めました。

フィレンツェでは潰されてしまいましたが、アウグスブルクでは成功し、各ツンフトから代表者を出し、都市貴族と共に市政を取り仕切るようになっていきました。しかし、15、16世紀になると、今度は新しい参事会と下層民との間で抗争が起きてしまいます。これは都市内で生じた著しい格差にありました。納税者の八割を占める下層民の財産は、都市民が持つ全ての財産のわずか3%に過ぎなかったのです。こうして、ツンフトの政治は崩れ、復権してきた都市貴族によってツンフトの権利は大幅に削減されていきました。

【ヘントの場合】

ツンフト闘争の例として最後に、イタリアと並ぶもうひとつの大都市圏であったフランドルの都市、ヘントの例をあげます。ヘントはフィレンツェと同じく毛織物業で栄えた都市でした。この都市でも14世紀になって都市貴族と手工業者との抗争が起こります。結果として1302年以降、都市を治める役職は、毛織物ギルド、肉屋を中心とした諸ギルド、そして都市貴族の3者によって分けられるようになります。

ツンフト闘争のような下層民と支配階級との争いは、都市という環境で特別に起こっていたのではなく、それより大きい、あるいは小さい規模でも上下の争いは起きていました。14世紀、ヘントでは毛織物業者の中でも縮絨工と織布工との間で、あるいはフランドル伯やフランス王に対しての抵抗などが起きていました。

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