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チリツモ【中世ヨーロッパ情報館】

"chiritsumo” 管理人チリが、中世ヨーロッパにまつわる情報を紹介していきます。

ルイ9世の地方行政

第7回十字軍から帰還したルイ9世には、処理しなければならない国内問題が数多くありましたが、その中のひとつが地方行政官の引き締めでした。旧来からの代官であったプレヴォの職権の乱用を防ぐため、ルイの祖父にあたるフィリップ・オーギュストの御世に、フランスではより広範囲を治める代官が新設され、裁判権の代行、徴税、有事には徴兵などを執り行っていました。この代官は主に北フランスではバイイ、南フランスではセネシャルと呼ばれていたのですが、皮肉なことに彼らもまた、職権乱用で王を困らせるようになっていたのです。

この状況に対処するため、ルイは1254年に行政改革の大王令を下します。この王令は代官に対し慣習に基づいた適切な裁判をすることを求め、彼らの職権乱用を抑えるためのさまざまな項目が含んでいました。まず、賄賂による汚職を防ぐために、代官は自分の上司やその家族へ贈り物をすることが禁じられ、また反対に自分や自分の家族への贈り物を受け取ることを禁じられました。

また、管区内の住民との癒着が問題とならないよう、頻繁な配置換えがなされた他、代官の子息と地域住民の婚姻は禁じられました。さらに、代官には管轄地域内での不動産の所有が認められず、下級役人の増加により国庫負担が増え、代官の権力が肥大化しないように下級役人の数は制限されました。

彼らは代官職を退任しても全ての責任から解放されるわけではありませんでした。現役中、彼が執り行った業務に対する苦情や訴えを受け付けるために、元代官として自分自身、あるいは代理人が前の管区に留まる必要があったのです。退任直前を好機とし、職権乱用をして逃げ去ることは許されなかったのです。王領地の中で進められていた、このような地方行政制度の発展は、いまだ官僚組織として完成された域には達していたとはいえませんでしたが、中世後期の絶対王政を支えるひとつの柱となっていくのです。

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